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「造るアホウに出るアホウ。同じ出るなら刻まな損、損・・」ジャンボ尾崎の″名文句?!〝を地でいった45歳・手嶋多一の大殊勲

07年のカシオワールド以来、7年ぶり。今季初メジャーの日本プロで復活優勝を遂げた喜びの手嶋多一(兵庫・ゴールデンバレーGC)
07年のカシオワールド以来、7年ぶり。今季初メジャーの日本プロで復活優勝を遂げた喜びの手嶋多一(兵庫・ゴールデンバレーGC)

2014年の″プロ日本一〝は45歳の手嶋多一でした。07年のカシオオープン以来、7年ぶりにベテランがつかんだ通算7勝目。駆け寄ってきた一粒種の長男・泰斗クン(4)を抱き上げ、歓喜のほほづりをした手嶋の目には光るものがありました。日本最古の歴史と伝統の公式戦「第82回日本プロゴルフ選手権 日清カップヌードル杯」は、コースレート77.4、日本最難関のゴールデンバレーGC(兵庫、6月5~8日)で行われ、小田孔明(36)、李京勲(イ・キョン・フン、22=韓国)に競り勝った手嶋が、通算9アンダーで逃げ切りました。手嶋は01年、東京ゴルフ倶楽部での日本オープンに続き2つ目の日本タイトルをつかみ、来季から5年間のシード権もゲットしました。
最近では、44歳で活躍中の藤田寛之に並ぶベテラン健在の男子ツアーです。

☆      ★      ☆

ゴールデンバレーGCは、世界的コースデザイナー、ロバート・トレント・ジョーンズJr氏の設計で自然の地形を生かして造られ、18ホール中16ホールに池やクリークが絡む戦略性の高いコースです。コースレート(ハンディ0のゴルファーがプレーした場合のスコア想定)77.4が示すように、国内最難関の厄介な舞台です。これまで1990年に三菱ギャラン、1994年にPGAフィランスロピーなどビッグトーナメントが開催されてきました。それにつけても思い出すのが、90年の三菱ギャランです。
3日目、青木功と同組で優勝を争っていたジャンボ尾崎が18番(パー5)、池越しに2オンを狙った2番アイアンがグリーン手前の土手に当たって池に消えたのです。ここで「7」を叩き、最終日青木功優勝へのお膳立てをしたジャンボが吐いた″名言??〝は・・。
「造るアホウに出るアホウ。同じ出るなら刻まにゃ損、損。ここは阿波踊りなんだよ!」
ドライバーを思うように使えないいらだちを、故郷徳島の「阿波踊り」のジョークに込めて吐き捨てたのでした(ジャンボは2位タイで終了)。

今季絶好調の小田孔明(左)と韓国の若手、李京勲(後ろ向き赤シャツ)を激戦の末に降し、挨拶を交わす手嶋多一(中央)=日本プロ・日清カップ
今季絶好調の小田孔明(左)と韓国の若手、李京勲(後ろ向き赤シャツ)を激戦の末に降し、挨拶を交わす手嶋多一(中央)=日本プロ・日清カップ

この難コースと、厳しいメジャーの設定の中で4日間すべてアンダーパーで回ったのは、優勝した手嶋と2位の小田孔明の2人だけでした。「いま一番勢いのある孔明が勝つと思っていた」(手嶋)という展開は、抜きつ抜かれつの大激戦。1、2番のバーディースタートで前半は手嶋がリードを広げながら8、10番でボギーにし、10番では小田に逆転され、一時は2打差をつけられて「ガクッときそうになった」(手嶋)。しかし、ベテランの粘り腰はここからでした。12番で4㍍を入れるバーディーで息をつき、14番で下りの難しいパットも決めて、14番から3連続ボギーと自滅した小田をしり目に手嶋は再び1打リードで池越え、恐怖の18番(パー5)を迎えました。

勝った手嶋多一の証言

「1打リードで18番に来たのは大きかった。ティーショットはスプーン(3W)も考えたけど、結局ドライバーでいった。セカンドはエッジまで240ヤードのアゲンストだったので5番アイアンで刻みました。80ヤード残って3打目は60度のサドウェッジ。バーディー狙いもあったけど、あの状況なら2パットでもと思っていきました。勝因?やっぱりダボを打たなかったこと。ロングでバーディーがとれたこと。アイアンを1回も池に入れなかったことですかね。優勝を狙っていって優勝するのは難しい。こういうように粘って粘ってやっと優勝できた。日本オープンに勝ったとき(01年)は、勢いもあったし、いまはヒヤヒヤのゴルフですからね。今年は開幕からゴルフの内容よかったし、去年よりはよくなってるとは思っていたけど、まさかこのコースでこんなに早く来るとは思わなかった。ゴルフ人生で、一番充実していた4日間でした」

ジャンボの″名言〝通り、最後の最後まで刻みに徹した手堅いゴルフが、最終18番ホールもケガをせず、コースレート77.4の難コースを征服してみせました。

第82回日本プロ日清カップは梅雨の晴れ間、最終日は7557人の観衆を集めて開催。ドライバーを放つ手嶋多一。(兵庫・ゴールデンバレーGC)
第82回日本プロ日清カップは梅雨の晴れ間、最終日は7557人の観衆を集めて開催。ドライバーを放つ手嶋多一。(兵庫・ゴールデンバレーGC)

昨季の手嶋は、原因不明の体重7キロ減に悩まされ、飛距離も20ヤードも落ちて10試合の予選落ち。年齢とともに「限界」すらちらつき始めていました。18年連続でキープしてきたシード権も、昨季はぎりぎりの70位で危うく死守。しかし、感覚を大事にする職人肌の男は、12年間も愛用している3番ウッドや、17年目の5番ウッドを、しかもスチールシャフトでいまだに使いこなしています。一昨年、藤田寛之が43歳で賞金王になり13年には2度目のマスターズに出場。″アラフォー の星〝といわれましたが、45歳の手嶋の復活もそれに続く見事なドラマでした。
45歳7ヵ月23日にしての初のプロ日本一は、大会歴代4位の年長V。日本オープン、日本プロの両日本2冠を獲ったのは史上20人目。来季から5年間のシードを獲得して「それが一番うれしい。そのままシニアデビューまでいけますね」と笑わせたしたたかな45歳でした。