国内1勝で泣くなよ!!遼 2年ぶりに復活Vを遂げた石川遼 “彼女が一番の支え”とは・・!

2年ぶり、思い出の太平洋御殿場コースで復活Vを遂げた石川遼。ズシリと思い優勝カップの感触が心地いい(三井住友VISA太平洋マスターズ)
2年ぶり、思い出の太平洋御殿場コースで復活Vを遂げた石川遼。ズシリと思い優勝カップの感触が心地いい(三井住友VISA太平洋マスターズ)

 遼が泣きました!2年ぶり涙の優勝です。石川遼、15歳のアマチュアでプロツアーを制覇してからもう6年・・21歳になりました。2年前の同じ大会「三井住友VISA太平洋マスターズ」で通算9勝のスピード達成のあと、ピタリと勝ち星が消えてまる2年。今回、同じ試合で復活の10勝目を挙げましたが、21歳55日でのツアー10勝は、池田勇太の歴代最年少記録26歳9ヵ月を大幅に更新するものでした。それにしても、遼は太平洋クラブ御殿場コースが大好きなのです。そして、4日間、遼が運転するスポーツカーの助手席に乗せて通ったという彼女が寄り添っていました。「2年ぶりの優勝は彼女の支えがあったから」(スポーツニッポン紙より)とは、ちょっと驚きましたが、この優勝はいろんな意味で新しい石川遼の“始まりの1勝”でもあるようです。

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 馬か獅子のたてがみのように伸ばしていた髪を「去年の8月以来かな」(遼)と、1年3ヵ月ぶりにばっさりと切り落として遼はこの試合に臨みました。約10センチ、後ろ髪をカットしただけですが、もみ上げも切り、首筋から頭にかけてすっきりとしていて新鮮でした。離さなかった流行のワークキャップもやめて、久々(昨年4月のマスターズ以来)サンバイザー姿は“強かったころの遼”を思い起こさせました。
 ドライバーを今年4月のマスターズ以来、約7ヵ月ぶりに0.5インチ長い45インチのシャフトに変え、ヘッドも380CCから445CCと大きくしてこの試合に臨みました。正確な方向性で飛距離を伸ばそうという試みです。ウェッジも、タイトリストから来年からの新契約がうわさされるキャロウェイの60度に、パターもマレット形状からオデッセイのピン型に変更する大胆な“チェンジ”を行いました。日本ツアーがオープンウイークだった前週、これらの最終的な試打と練習ラウンドを関東近郊のコースで3度行ったそうですが、心機一転の遼の思いを感じさせる変更でした。

好調を取り戻した石川遼のドライバーショット(16番ホールのティーショット=太平洋クラブ御殿場コース)
好調を取り戻した石川遼のドライバーショット(16番ホールのティーショット=太平洋クラブ御殿場コース)

 初日から67で首位に2打差の2位につけた遼は、2日目も69。3日目も同じ69を出し、ついに今季初めての首位に立ったのです。最終日は富士山ろくに冷たい雨が降りしきりました。前半で2バーディー。10番からは3連続バーディーで遼は2位に4打差をつけましたが、勝負は楽には勝たせてくれませんでした。雨脚が強くなった終盤の16番でグリーンを外し、17番(パー3)では3パットで連続ボギーを食います。追い上げてきた松村道央に1打差に迫られるピンチです。残るは池のある18番(パー5)1ホールだけ。第2打、先に打った松村に、左12メートルへの2オンを見せられました。遼は残り228ヤード。「(松村が右手前の池を避けて左サイドに乗せたが)自分も左に外したらスキを見せる。松村さんより不利な状況から3打目は打ちたくない。リードしているものが逃げると追う立場は楽になる。勝負としてここはこだわった」と石川。雨と向かい風。5番ウッドを選んだ遼は、フルスイングしてぎりぎり池を越え、ピン右手前6メートルにボールは弾みました。この緊張の場面で見事に打った5W。勝負に勝った1打でした。松村がイーグルパットを逃がし、遼は震えながら最後10センチのバーディーパットを沈めました。

 グリーン上、笑顔で歓声にこたえていた遼が、グリーンサイドで万歳しながら迎えた同行スタッフをみたとたん、涙がとめどなくあふれ出ました。サポートをし続けてくれた“チーム遼”の一員の肩に顔をうずめ、顔をくしゃくしゃにして泣き崩れる遼でした。

「長かった。優勝の味を忘れていたので不思議な気持ち。練習を続けていたら本当にうまくなるんだろうかと・・。ダメなんじゃないかという考えばかりが頭をよぎってきました。この2年間で別人になってしまったなと思った。でもやはり、練習してうまくなって勝てたと思います。2年前とは別人の新しい石川遼になれたんです」

美しい富士山を背に熱戦が繰り広げられた太平洋・御殿場コース。13番グリーンから望む富士。
美しい富士山を背に熱戦が繰り広げられた太平洋・御殿場コース。13番グリーンから望む富士。

 2年間はいろいろなことがありました。あれほど強くて、かっこよくて、大向こうの人気を独り占めしていた石川遼が、2年前のこの大会を制してからというもの、勝てなくなったのです。スイングに悩み、うまかったパットも思うように決まらなくなりました。人気者ゆえの精神的なプレッシャーも計り知れません。11年は優勝争いにも加わり惜しい試合もあって賞金ランクは3位。運のなさだけかとも思われましたが、12年は優勝争いの回数もグッと減って“遼人気”にかげりさえみせ始めたのです。夏には連戦の疲労からか、腰痛にも悩まされコルセットをして戦う姿もみられました。
 米ツアーのシード権が欲しくて・・。世界ランキング50位以内、が欲しくて・・。日米を往復して戦った遼。7月上旬以来、15週連続出場で、先週は16週ぶりにトーナメントに出場しないオフを過ごした遼です。1月から4月のマスターズまでに8試合。5月~8月に10試合。計18試合の海外遠征もこなしました。4つのメジャーで予選をクリアしたのは8月の全米プロだけ(59位)。18戦で8試合が予選落ち。しかし、プエルトリコオープンの2位。ザ・メモリアルトーナメントの9位が効いて待望の米ツアーの初めてのシード権を手中にしました。米ツアーの賞金ランキングは、正式メンバーの108位に相当する87万1051ドル(約6800万円)を獲得し「125位以内」のシード権が確定しました。来季は、待ちに待った米ツアーへの本格参戦が実現します。ただ遼の表情がいまひとつ晴れないのは、来年のマスターズ出場資格が得られる「年末の世界ランキング50位以内」が、クリアされていないからです。この大会に入る前で89位。優勝で71位に上がりましたが、まだまだ「50位以内」には程遠い位置です。日本ツアーは残り3試合。あと1試合勝ったとしても、安全圏に入れるかどうかは分りません。これを逸すると、来季挑戦する米ツアー(初戦は1月24日からのツアー第4戦「ファーマーズ・インシュランスOP」の予定)で勝利するか、マスターズ前週発表の「世界ランク50位以内」にかけるしかありません。

好調を取り戻したショッに比べて、パットだけにまだ少し課題が残る石川遼。最終日も3つのボギーのうち、2つが3パットのボギーだった(太平洋クラブ御殿場コース)
好調を取り戻したショッに比べて、パットだけにまだ少し課題が残る石川遼。最終日も3つのボギーのうち、2つが3パットのボギーだった(太平洋クラブ御殿場コース)

 今年3月には中学時代の同級生との婚約を世に発表。20歳の若いカップルには好奇の目が向けられ、必ずしも誰からも祝福される婚約ではありませんでした。フィアンセの写真も公表するでもなく、この発表は人気者・遼の心を痛める出来事だったのかも知れません。ところが、今回の遼は“突然”彼女のことを口にしました。毎日自分の運転するスポーツカーの助手席に彼女を乗せてコース通いしたことも明かしました(スポーツニッポン紙の独占手記より)。また会見では「18番で観客に投げたボールは別のもの。実際にカップに沈めたものは投げていません。勝ったときのボールはずっと彼女にプレゼントしてました。最近、くれないから寂しいっていわれていたんです」と、ポケットからウイニングボールを大事そうに取り出して見せたりしました。スポーツニッポン紙によると、“僕をプロゴルファー・石川遼でなく、一人の人間・石川遼として接してくれる。彼女が一番の支えであることは間違いないです”とも胸中を吐露しています。4年前から交際している彼女。それはそれで暖かく見守ってやるのが普通でしょうが、「苦労したこの優勝への支えが彼女だった」というのは、ハスラーであるべきプロゴルファーとして、女々しくて、ちと早すぎる! のではないでしょうか?

 そして遼クン、気持ちはわかるけど、この優勝でわんわん泣かないでくれよ! マスターズでも全米オープンでもないんだから・・。