夕暮れ迫る「鹿児島・いぶすきゴルフクラブ」18番グリーン。石川遼(27)の天を仰いだ雄叫びが、背にする開聞岳に響きわたりました。16年8月のRIZAP KBCオーガスタ以来、ほぼ3年ぶりに遼がつかんだ勝利の美酒ー。今季国内メジャー第2戦の日本プロ選手権。7日の最終日、九州南部で続いた大雨の影響で第3Rと最終Rの36ホールが行われ、石川遼は通算13アンダーで並んだ黄重坤(ハン・ジュンゴン、27=韓国)とのプレーオフ1ホール目、18番(パー5)で4㍍の劇的イーグルパットを沈めて9時間11分の死闘に決着。ツアー通算15勝目で国内3大メジャーでの優勝は初めて。一時は首位に7打差をつけられたところからの大逆転で、令和初の「プロゴルファー日本一」の称号を手にしました。
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ドラマは、本戦大詰の波乱から始まりました。午後からの最終ラウンド、16番のバーディーで首位ハンに2打差に迫った石川遼。続く17番(206ヤード、パー3)ハンが放った第1打がいったんグリーンに着地しながらスロープで戻って手前の池に落ちるまさかのダブルボギー。遼が3Rの2連続ダボ(5、6番)などで7打差と離されていた差はついになくなり、二人のプレーオフへともつれる展開となったのです。「不可能だと思っていた優勝という2文字が、突然目の前にきて、いきなり緊張しましたね」と遼。プレーオフ1ホール目(18番)。右目からドローでいこうとした石川の第1打が、カート道に当たり、あわやOBかとヒヤリとさせましたが、フェアウェイに跳ね返る大幸運。「普段の飛距離より30ヤードくらい余計に飛んで、ジュンゴン(ハン)より40~50ヤード前に行った」という。ここでも遼に味方した大幸運。「このホールで勝負を決めないとと思った」と遼。打ち上げていく第2打。ハンがグリーンの右端にロングパットを残した2オン。残り200ヤードを5番アイアンで狙った遼は、ピン4㍍につけるスーパーショットでした。
ハンのイーグルパットがカップを1㍍オーバーして外れると、集中力を極限にまで高めていた遼のイーグルパット。軽く右に曲がると読んだ通りのラインを描いて、ボールはカップに消えました。持っていたパターを放り投げ、上体をえびのようにそらして右こぶしを下から突き上げるタイガー・ウッズ並みの派手なガッツ・ポーズ。感極まったその両目には熱い涙が溢れました。夕暮れの18番グリーンを取り巻いていた大勢のギャラリーの熱狂した大歓声。待ちに待った遼クンへの限りない祝福の嵐でした。
長かった約3年。ここ数年の遼に襲いかかってきた不運は、彼をどん底へ突き落としていました。16年2月、腰の故障で軸足を置いていた米ツアーを離脱。帰国して半年近い治療。7月の日本プロで国内復帰し、2戦目のRIZAP KBCオーガスタで早々と復活Vを遂げて驚かせました。この年、3月に結婚した愛妻に″感謝の初V〝を贈ったのでした。しかし、遼の体調はその後も思わしくなく、遼らしいゴルフはカゲをひそめたままでした。17年はいま一度米ツアーに足をのばしたものの、中盤以降10試合で9回の予選落ちというみじめな戦績しか挙げられず、米国完全撤退を決意するしかありませんでした。
日本復帰した18年。選手会長に就任して臨んだシーズンでしたが、結果としては優勝には届かず、石川遼の名声は薄らぐ一方でした。明けて19年。東建ホームメイトを欠場。国内第2戦の中日クラウンズでは初日に腰痛が再発。2日目のスタート前に棄権する事態を招きました。「歩いていても力が入る感じがしない」(石川)と訴え「第5腰椎のヘルニア」の診断。プロ転向後初めての棄権で、長期戦列離脱が危ぶまれました。6月に入ってコースに戻り、小手調べの日本ツアー選手権で20位。先週のダンロップ・スリクソン福島オープンでは3日間アンダーパーで回り29位(最終日降雨中止)。
本格戦列復帰した今回の日本プロでは、初日から65でトップスタートを切るなど、ようやく元気な姿を披露したばかりでした。九州南部の大雨でプロアマ大会、初日のラウンドが中止になる緊急事態。選手は練習ラウンドもろくにできないままのぶっつけ本番でした。72ホールは何とか消化したいというPGA倉本昌弘会長の思いもあり、日曜日は第3Rと最終Rの1日36ホールの強行軍でした。石川は早朝にスタートした第3Rでは4番のボギーに続き5、6番で2連続ダブルボギーを叩くピンチ。さらに後半12番で連続ボギー。通算5アンダーまで落ちて首位とは7打差がつきました。
しかし、そのどん底から奇跡が起きました。上がり3ホールで3連続バーディーとして第3Rは「71」(4打差6位)。午後の最終ラウンドでは5バーディー、1ボギーの66でプレー。POにまでもつれ込む驚異の36ホールでした。
★ 久々見せた遼らしい爆発力。″2連続ダボ〝でも勝った遼のコメントです。
「きょうの日までホントに長かったです。長かったけど、10代のころより体も変わったし、体に対して傲慢(ごうまん)さ、甘くみたところがあったかもしれない。中日クラウンズでは棄権もした。あれからまだ2ヵ月しか経ってないですけど。いま、またここに戻ってこれて、夢なのかなと信じられない。きょうはチャレンジャーというか挑戦者のつもりでやろうと思っていましたから。1打1打やっていけばできるんだという実感が湧きました。多くのファンの方が僕を信じて待っていてくれた。そのファンの力で勝てました。それにキャディーやサポートしてくれたスタッフの顔をみたとき、涙が出ましたね。(プレーオフの)最後のパットは、いままでの優勝の中で一番興奮したかもしれません。4㍍くらいでカップ1個か2個スライスするパットでした。読んだラインを信じて打ちました。その通り曲がってくれました。まさか日本プロというメジャーで、こんなに早く自分が勝つ日がくるとは思っていなかったですけど、開幕からコツコツと取り組んできて集中力を高めてきたのが日本プロに勝てたのだと思う。(苦しみが長かったことは?)僕は意外と楽観的でストレスもたまらないのですが、ツアー選手権の初日まではまだドライバーで悩んでいました。気持ちよくクラブを振れない時期は長かったので、最近は自分でも何年ぶりにいい感覚で振れてきたのだろうと思ったりします。アプローチはもっと上手くなれると思うし、バンカーへの対応ももっと上手くならないといけないなと思います。でも自分の中では、ドライバーと戦っていく、ドライバーをよくするのは避けては通れないと、今年からやり始めています。ドライバーでアドバンテージは握れているので、そういうゴルフができれば自分らしいゴルフが見せられるんじゃないかと思います。今週はこの地方は大雨で大変な1週間でした。その中で大会をやるということにはいろんな意見があったと思います。でも開催が決まったらやるからには大会を盛り上げて中途半端ではいけないと思いました。日を追って天気も回復してきて、最終日もたくさんの方に見に来ていただき、ホッとした思いでした」
このメジャー優勝で5年のシード権を獲得しました。今年12月のカシオワールドまでしかシード権がない石川でしたから「実は、結構ホッとしました」と笑わせました。「自信をつけるには簡単なことではない。自信を失うのはアッという間です。だから練習頑張るしかないと思うのです」という遼クン。15歳で東京・杉並学院高1年だったとき、07年のマンシングウェアKSB杯でツアー史上最年少優勝を飾って一躍風雲児となりました。あの日と同じ天候不良による最終日1日36ホール競技を制したのは、何か因縁なのか。あれから12年。27歳となったいま、東京五輪出場へ、そしていま一度の米ツアー挑戦への夢ー。″ニュー石川遼〝の再スタートの日なのかもしれません。
(了)