日本から7人が出場した全英シニアオープンは、うち決勝に進んだのは2人だけで5人が予選落ちする結果となりました。国、コース、気候・・環境が日本とは大きく異なるとはいえ、ちょっぴり寂しい戦績です。7月22日から25日までスコットランド北部のカーヌスティGLで行われた全英シニアオープン。セント・アンドリュースで開かれた全英オープンの翌週、当地から程近いカーヌスティで開催されたメジャーとして注目されましたが、御大の青木功が過少申告で初日から失格になるハプニングまでついて日本勢は散々でした。
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米シニアツアー(チャンピオンズツアー)に組み込まれたシニアのメジャー大会。会場のカーヌスティはセント・アンドリュースからさらに北上したスコットランドの北部にあります。全英オープンの舞台としても有名で、リンクスでありながら、インランドの風情もある難コースとしてしられています。海岸に直接面したホールはありませんが、海からの冷たい風がショットに大きな影響を与えることに変わりはありません。フェアウェイには複雑なうねりが連続しており、あらゆるライに対応できるショットが求められるのです。17番と18番には小川がくねくねとフェアウェイに食い込み、特に18番は2度も小川がフェアウェイを横切り、最も川幅の広い場所がグリーン手前にあるという難解なコースです。
かつてここで全英オープン初出場、初優勝を果たしたベン・ホーガンが「攻めて地獄、守って奈落」と表現したカーヌスティですが、ここで忘れられないのが、99年の全英オープンです。フランスのジャン・バンデベルデが、最終日、2位を3打離して最終18番にきながら、強引な攻めでラフと小川につかまり、トリプルボギーを叩いてプレーオフ。これにも敗れる”悲劇の18番”を演じたあのコースがカーヌスティです。
全英シニアオープンがカーヌスティで行われるのは初めてですが、酷暑続きの日本に反して、今年も初日から冷たい北風に日本勢はなじめなかったようです。加えて厳しいコース設定が、ことのほかこたえました。初日から日本勢の最上位は、奥田靖己と渡辺司の3オーバー、74で45位。高見和宏の85位のほか3人は100位以下のスタートでした。おまけに5オーバー、76でホールアウトした青木功が10番「5」だったのを「4」とスコアカードに書き込む過少申告が発覚で失格処分となりました。「過大申告の経験あるけど、過少申告は初体験だナ」と、がっくり肩を落とした青木功でした。
2日目を終わってせめてもの話題を集めたのは、加瀬秀樹です。初日77で105位に沈んでいましたが、2日目は1アンダーの70で回りました。こういうコースですから、アンダーパーで回れば順位はグンと上がります。加瀬は67人抜きで38位にジャンプアップ。見事に予選をクリアしたのです。もう一人は、初日74で45位にいた渡辺司が2日目も74で通算6オーバーで予選を通りました(46位)。予選を通過したのは結局この2人です。
奥田靖己が74、76の8オーバーで惜しくも1打足りずに予選落ちしたのをはじめ、芹澤信雄10オーバー、93位。高見和宏11オーバー、103位。友利勝良13オーバー、111位。ことごとくしっぽを巻いて退散でした。全体を見渡してみても、冷たい風の吹いた2日目をノーボギーでプレーした選手は一人もいませんでした。厳しいコース設定と難グリーン。それぞれ1位のスコアは初日4アンダー。2日目も4アンダー。3日目6アンダーと伸びませんでした。
結局日本勢は、最終日渡辺司が76で12オーバー。加瀬秀樹が78で15オーバー。大きなブレークはできずに終戦でした。
こうしたハードなシニアオープンを思うにつけても、02年にコースは違いますが、このタイトル(この年まで非公式試合)を取った須貝昇はたいしたものです。日本人の海外シニアでの活躍は、やはり02年、日本人として初めて欧州シニアの賞金王に輝いた海老原清治、毎年海を渡って挑戦した友利勝良らもいますが、その後はさしたる戦績を残した人はいません。日本のレギュラーツアーで1勝以上している人は、50歳でシニア入りしたその年の全英シニアオープンに出場できる特典があります。シニアの当たり年の今年は4人のシニア新人がこの特典で出場。もう一人、フランキー・ミノザ(比)もシニアルーキーとして参加しましたが、やはりカットラインに1打足りず予選落ちでした。シニアになったからといって、”若さ”を武器に出て行っても、そう簡単に海外になじめるものではないようです。
次週、7月29日からは、今度は米国に渡って全米シニアオープンとメジャーウイークが続きます。日本勢の奮起を呼び起こしたいものです。