新しい家族3人でつかんだ加瀬秀樹のシニア初優勝!

"新しい家族3人"で勝ちとった加瀬秀樹のシニア初V。カップを抱える加瀬秀樹を中心に左は長男・哲弘君(14)、右は文子夫人(40)=茨城・笠間東洋GC
"新しい家族3人"で勝ちとった加瀬秀樹のシニア初V。カップを抱える加瀬秀樹を中心に左は長男・哲弘君(14)、右は文子夫人(40)=茨城・笠間東洋GC

 シニアルーキーの加瀬秀樹(50)が日本プロシニア選手権(9月26日最終日=茨城・笠間東洋GC)でシニア6試合目、感激の初優勝を飾りました。賞金1000万円ものビッグマネーを手にしたのはいつ以来でしょうか。レギュラー時代、飛ばし屋の一人として脚光を浴びた時期もありましたが、前夫人との死別、再婚、スイングの改造、長尺パターへの切り替えなど、身辺は”多忙”続き。公私に及んだ改革を乗り越えて50歳のシニア入りした年につかんだ美酒。レギュラー時代、2004年のサントリーオープンに勝って以来、6年ぶりの快挙でした。賞金ランキングも5位に上がって、残り3試合の秋の陣は高額賞金ぞろい。加瀬秀樹の「シニア賞金王」の夢も膨らんできました。
 
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優勝賞金1000万円のチェックを受け取る加瀬秀樹(日本プロシニア=茨城・笠間東洋GC)
優勝賞金1000万円のチェックを受け取る加瀬秀樹(日本プロシニア=茨城・笠間東洋GC)

 最終日の18番グリーン。優勝賞金1000万円の小切手と数々の副賞を手渡された表彰式。その最後に加瀬は、美人でなる文子(あやこ)夫人(40)と最愛の長男、哲弘君(14)=千葉日大中3年=を呼び寄せました。優勝カップを3人で囲んで笑顔の3ショットのフラッシュの中にいました。
 加瀬には悲しい過去があります。相思相愛だった前夫人の京子さんを長い闘病生活の末に喘息(ぜんそく)で1991年に亡くしました。国内ツアーや海外遠征にも病弱の京子夫人を同伴、加瀬はゴルフと戦いながら夫人の看病にも力を尽くしました。そのかいもなく、京子夫人の死に直面した加瀬は、落胆による精神的なダメージでランキングも年ごとに下がり、93年には賞金シード落ちのどん底に落とされました。
 

終始安定していた加瀬秀樹のドライバーショット(日本プロシニア=笠間東洋1番ティー)
終始安定していた加瀬秀樹のドライバーショット(日本プロシニア=笠間東洋1番ティー)

 もんもんと過ごした95年、ツアー開幕直前に現夫人の文子さんとめぐり合って再婚。年末には長男(哲弘クン)の誕生という久々の明るいニュースが、ショックから4年後に蘇ったのです。96年、夏の「日経カップ」では最終日に63のビッグスコアを出して大逆転でツアー3勝目。年末には米ツアーのQT(予選会)に挑戦して16位で合格。97年は米ツアー中心にプレーするところまで加瀬の気力も立ち直りました。米ツアーは苦戦の連続でしたが、全米オープンでも決勝ラウンドに進むなどの大きな収穫もあって、翌年からの国内戦復帰で成果をみせました。
 
 04年9月、加瀬はさきの「日経カップ」以来8年2ヵ月のブランクを経て「サントリーオープン」で勝って奇跡的な復活をしました。文子夫人34歳、哲弘君8歳のときでした。そのとき以来の今回の優勝です。サントリーに勝つ1年ほど前から長尺パターに替えて、弱点だったグリーン上のスコアアップも改善されました。当時、ティーチングプロの井上透コーチと組んで第1期のスイング改造にもとり組みはじめていたのです。
 
 レギュラー時代は4勝。最後の「サントリー」から今回、また6年のブランクでした。「最近は調子があまりよくなかったので、まさかここで勝てるとは思っていなかった。それだけにうれしい。ずっと応援してくれたいろいろな方へ、ホントにありがとうと感謝の気持ちがいっぱいです」。

激闘が終わって健闘を称えあう18番グリーンでの3人。水巻善典(左)、加瀬秀樹(中)、倉本昌弘(右)=日本プロシニア、茨城・笠間東洋GC
激闘が終わって健闘を称えあう18番グリーンでの3人。水巻善典(左)、加瀬秀樹(中)、倉本昌弘(右)=日本プロシニア、茨城・笠間東洋GC

 台風がらみの風雨に見舞われ2日続きのサスペンデッドになるなど今年の「日本プロシニア」は大荒れでした。決勝2日間は天気は回復しましたが、最終日を迎えて3打差に7人がひしめく大混戦でした。3R目でトップに立った加瀬は、最終日、倉本昌弘、水巻善典との最終組。トップタイだった倉本が早々とスコアを落とし、水巻との1位争いになりましたが、「大きな球ばかり狙わず、低めの球でストレートかややフェードする球に変えている」(加瀬)という通り、安定したショットでノーボギーのゴルフを貫きスキを見せませんでした。3打差をつけて迎えた最終18番(パー5)では、左曲がりの林越えに2オン狙い。これを見事に成功させてこの日3つ目のバーディーとして69。4日間ともアンダーパーで2位に4打差の13アンダーでの圧勝でした。
 
 1990年「日本プロ選手権」でプロ初優勝。20年後の50歳のシニアになった年にまた「日本プロシニア選手権」でシニア初優勝です。「何か”日本プロ”と自分との運命的なものを感じます」と、第2のゴルフ人生のスタートへ、感慨ひとしおの加瀬でした。
 前夫人を亡くしてからも19年の歳月が経ちました。「サントリー」のときは8歳だった哲弘君も14歳になって中学3年生。千葉日大中は尾崎直道の母校でもありますが、その先輩に負けじと、哲弘君も地元千葉を中心にジュニアのゴルフで頑張っています。
 新しい家族3人でつかんだ復活優勝。波乱万丈・加瀬秀樹のゴルフ人生、まだまだ終わりはきません!