軟派の代表が石川遼なら、硬派の若大将を自認する池田勇太(24)が、人目もはばからず涙のTVインタビューを受けました。ANAオープンの最終日(19日=札幌GC輪厚コース)、韓国の若武者二人(J・チョイ、金度勲)に追い上げられて1打差を守るのに冷や汗ものの大詰め。最終ホール、相手がバーディーパットをミスしてくれたおかげでプレーオフを免れての逃げ切り優勝でした。ジャンボ尾崎を慕う池田勇太ですが、ジャンボが7勝を挙げているANAオープンには”自分も輪厚で勝ちたい”と特別な思い入れがあったのです。接戦をものにした安堵感と、手ごわい輪厚で勝てた感激とが入り混じった男の涙でした。今季、トーシン(7月)に続いて2勝目。通算6勝目で賞金ランキングも5位に引き上げる貴重な1勝でもありました。
◇ ◆ ◇
”札幌GC輪厚コース”-プロゴルファーの誰もが憧れる名門コースの一つです。コース設計の第一人者、井上誠一氏が、北海道で初めて手がけた難コースです。白樺などの木々でセパレートされた林間コースですが、この地は”風の通り道”といわれる厄介な風が、終始吹き抜けています。その強い風と、7000ヤードを超える距離。フェアウェイ、グリーンとも粘っこいベント芝。快速グリーンにも手を焼きます。1973年以来の、ANAオープンの開催コースですが(途中3度だけ、同じ札幌GCの由仁コースで開催)、ジャンボ尾崎は輪厚で7度の優勝を誇っていて”輪厚の帝王”とさえいわれました。
「ジャンボさんが強かった輪厚で勝てた。ここで勝たないとツアープロの仲間入りした気がしなかった。やっと一人前になった気がします」-池田は、輪厚で勝てた1勝には特別な思いがあったことを明かし、TVアナウンサーの問いかけに一瞬言葉を詰まらせ、顔をくしゃくしゃにして涙ぐみました。「オレ、勝って泣いたのは初めてですが、それほど輪厚で勝つのは難しかったし、うれしいんです」
昨年6月、日本プロゴルフ選手権でプロ初優勝、”プロ日本一”になったときの感激以上のものがある、というのですから、池田のこの試合への思い入れがいかに大きかったかが分かります。
最後まで苦しかった試合でもありました。3日目に首位に立ち、最終日は2打差をつけてスタート。12番までにスコアを5つも伸ばしたのに、韓国勢の追撃は急でした。中でもJ・チョイ(韓国生まれの米国籍)のバーディーラッシュで、池田は5つ伸ばしてもリードは1打に減っていました。後半になると、バーディーチャンスのパットが入らなくなりました。”輪厚名物”ともいわれる左曲がりの17番(パー5)。ドライバーを置き、ユーティリティの2番で確実にフェアウェイをキープ。同じユーティリティ2番で林越えにカットしていく戦法をとり、3日目に続いて2オンに成功しました。しかし、ロングパットをショートして3パットのパーに終わり、2位以下を突き放すことができません。1打差のまま最終18番という緊張度もピークに達する大詰でした。
18番。セカンドショットはピンへ真っ直ぐでしたが、アドレナリンが出たようなショットで3段グリーンの奥、10メートルに2オンです。輪厚の18番グリーンはピンより上の乗せたら地獄、というのは定説です。下りの、とてつもなく速いパットになって寄りません。1打差で追ってくるJ・チョイはピン左、2メートル弱にピタリつけました。もし、池田が3パット(ボギー)でチョイが入れる(バーディー)と、一気に逆転です。
10メートルの池田の下りのパットは、心臓が止まるような1打だったでしょう。パターフェースでボールにそっと触る程度のタッチでした。それでもスルスルと下ったボールは、右にそれながらもカップ横1メートル弱で止まりました。最高のパットでしょう。バーディー確実と思われたチョイは、2メートル弱のパットをなんと外しました。負けはなくてもプレーオフはほぼ間違いないと思われた場面は一変しました。池田は1メートル弱を慎重に読んで真ん中から入れました。1打差を守り抜いたのです。
この幕切れでは涙も出るでしょう。昨年の池田は石川遼と賞金王争いを演じながら、終盤に手首や腰痛が出て無念の失速でした。今年はその二の舞は厳禁です。契約した福田努トレーナーを全試合に帯同させて体のケアを最重点を置いています。今年の池田は海外遠征も増えて、世界の4大メジャーはじめこれまで11試合の海外遠征をこなしています。国内もANAで11試合となり、すでに計22試合に出場。昨季の計23戦に匹敵する試合数を消化していますが、海外遠征疲れはあったものの、体の故障とは無縁のシーズンを過ごしています。
この1勝(2勝目)で賞金ランキング1位の石川遼追撃の体勢が整いました。石川との差は1194万円です。あと1勝すればひっくり返るところまで接近しました。石川とのマッチレースのような展開で敗れた昨季(賞金ランク2位)のリベンジは、当然頭にあるでしょう。4つ年上の勇太が、遼を超える日はそう遠くはないかも知れません。