「現実は通用しなかったということ」―失意の石川遼、ついに米国撤退を決意!6年ぶりの国内ツアーへ。

5年間の米ツアー挑戦から、18年は日本ツアー復帰を決意した石川遼。
5年間の米ツアー挑戦から、18年は日本ツアー復帰を決意した石川遼。

米ツアーに5年間参戦した石川遼(26)が、ついに来季から日本ツアーへの復帰を決意したようです。米国5年間では2位が2回あるのはせめてもの実績ですが、悲願の米ツアーでの優勝は手がとどかないまま。今季は年間ポイントランク175位まで落ちて出場権(125位までが来季シード)を失い、
下部ツアーと上との入れ替え戦(4戦)でも復活シードを取れず、失意のまま帰国していました。終盤の国内ツアー出場7試合で5試合連続予選落ちの屈辱を味わいましたが、最後の2試合でようやくアンダーパーをマークできたのがせめてものなぐさめ。来季、もし米国にこだわるなら下部ツアーのウェブドットコム・ツアーで戦うしかなく、遼がとった道は6年ぶりの「日本復帰」でした。″米ツアー失格〝の厳しい現実のあと、来年9月には27歳になる遼クンが、絶大だったあの人気を日本でもう一度支えきれるでしょうか!?

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10年先を見据えてスイング改造に取り組んでいる石川遼。まだまだ″完成〝には程遠いが・・。
10年先を見据えてスイング改造に取り組んでいる石川遼。まだまだ″完成〝には程遠いが・・。

今季、日本に帰還してからの遼の練習ぶりはまさに悲壮でした。「目先のことではなく5年後、10年後のためにスイング改造をする」と語り、10月の日本オープンで通算9オーバー、97位で予選落ち。そのあと、くる試合くる試合予選落ちが続きながらホールアウト後も練習場にこもって最後の一人になるまで何百球も打ち続けました。「1ヵ月で2万球を打つ」(遼) などと発言して驚かせ、それを伝え聞いた松山英樹が、ダンロップフェニックスでケプカ(米)にV2を許した試合後、スイング改造中の石川遼のコメントを引き合いに出し「(自分も)1ヵ月で2万球くらい打とうかなと思います」と、周囲を笑わせた一幕もありました。

5試合連続で予選落ちした三井住友VISA太平洋のころは、落ち込んで小さく見える遼がいました。スイング改造に取り組んでいたにしても、少し神経質になり過ぎではないかとの声にも耳を貸さず「まだまだ練習が足りない」と練習に打ち込み続けた毎日。
毎試合、どん尻近くをさまよった石川にも大勢のギャラリーがぞろぞろとついて歩いたのには驚きでした。遼クンの人気は日本に帰るといまのところは健在なのです。「本当に、多くの励ましを受けながらプレーできるのは嬉しい。ありがた味を感じます。1日でも早く、応援してくれる人のためにもいいプレー、いいスコアで応えたい。何倍にもして恩返しをできるように」と遼は話していました。

今年11月の三井住友VISA太平洋で帰国5試合連続予選落ちした時の石川遼。ここを最後に次戦から立ち直った(静岡・太平洋クラブ御殿場)
今年11月の三井住友VISA太平洋で帰国5試合連続予選落ちした時の石川遼。ここを最後に次戦から立ち直った(静岡・太平洋クラブ御殿場)

苦しかった米ツアーでの5年間。日本に帰って戦ってもひどいスコアで自己最悪の5試合連続の予選落ち。それでもひたむきにフェアウェイでボールを追った遼に、11月下旬のダンロップフェニックスとカシオワールドの2試合は、突然といっていいほど遼らしいゴルフが蘇りました。ダンロップフェニックスは尻上がりの内容で最終日は久々の60台(68)が出て通算3アンダー、27位。続く最終戦、カシオワールド。決勝ラウンドは6アンダーの66を2日続きでマークし、最終日、首位に迫っていた最終18番。5㍍のバーディーパットを沈めての締めくくりは、長年の苦労を癒してくれるものでした。優勝したスンス・ハン(米)に1打差の通算12アンダー、2位。帰国から5試合、荒れまくったゴルフが徐々に姿を消し、最後の2試合では復活への手応えをつかんだのでしょうか。

「一歩一歩、自分のゴルフがよくなっているのが実感できてきた。1週間1歩なのに最後の試合では2歩くらい進めた感じ。上位争いをしている充実感や心地いい重圧の中で、今後につながるショットが打てた。次こそは勝ちたいと思えるようになった」。
手放しの笑顔はなかったけれど、久々に聞く遼の弾むコメントでした。

優勝した小平智(左)と談笑する石川遼(右)。ここでも79位で予選落ちした(11月、三井住友VISA太平洋マスターズ=静岡・太平洋クラブ御殿場で)
優勝した小平智(左)と談笑する石川遼(右)。ここでも79位で予選落ちした(11月、三井住友VISA太平洋マスターズ=静岡・太平洋クラブ御殿場で)

全日程を終えて1週間。連日練習を続けていた12月3日のこと。「アメリカに行って下部ツアーに参戦するか、日本へ帰ってくるか、揺らいでいた気持ちが急に固まった」と報道陣に明かしました。「(シード権を失い)最初は下部ツアーでもいいから米国で参戦し、日本ツアーとかけもちで戦いたい」との意向でしたが「考え直したい」とキッパリ。日米を往復するのは、どうしても中途半端になる。米国に行っても下部ツアーにしか出られません。「いまの状況では下部ツアーより日本ツアーの方がレベルが上ということもある」と遼。「(5年間戦った米ツアー)現実的には通用しなかったということ」(遼)と、厳しく自分と向き合って考え抜いた決断。「取り組んでいるスイング改造が完成したわけではない。仕上げは日本でじっくりと取り組みたい」というのが、最近になって遼の考えなのでしょう。

石川は07年、高1、15歳のアマで国内プロツアーのマンシングウェアKSBに優勝。ゴルフ界に大旋風を巻き起こしました。08年にプロ転向、翌09年には18歳の史上最年少賞金王に。12年までの5年間で通算10勝し(現在14勝)、13年からは米ツアーを主戦場としましたが、僚友・松山英樹の大ブレークにあおられるように結果を出せませんでした。プロ入り10年。結婚もした26歳の遼に訪れたゴルフ人生の大きな転機です。米ツアー撤退⇒国内復帰が吉と出るかどうか。ただ、米ツアーでの優勝をあきらめたわけではありません。「これからの5年で、米ツアーで通用する力がつき、英樹のように勝つか負けるかというレベルの力がついたら、もう一度アメリカへ戻りたい」と、夢は捨てきれない遼クンですが―。

来年、日本ツアーの開幕戦は1月の日本・アジア両ツアー共催のシンガポール・オープンになりそう。国内での開幕は4月までなく、その間、米下部のウェブドットコム・ツアーはバハマ2試合、コロンビア、パナマから米本土に移り、さらにメキシコを巡るハードな序盤戦が組まれています。米国撤退を決めた遼の開幕戦は、1月のシンガポール・オープンが有力。新しい戦場に戻る2018年の石川遼のゴルフにファンの目は集まりそうです。

≪石川遼の出場権は?≫
米国はツアーの出場権はなく、下部のウェブドットコムツアーには出場できる。
日本では16年のRIZAP KBCオーガスタ優勝で17年から2年間のシードがある。(了)