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日本シニアツアー2試合だけで賞金5位に食い込んだ欧州シニアの“渡り鳥”D・J・ラッセル(57)。 国内シニア全試合終了。賞金王は金鍾徳

“二人三脚”で日本初Vを果たし、喜びのツーショット。カップを抱えるD・J・ラッセル(左)と息子でキャディーのクリス(右)=富士フィルムシニア(千葉・ザ・カントリークラブジャパン)
“二人三脚”で日本初Vを果たし、喜びのツーショット。カップを抱えるD・J・ラッセル(左)と息子でキャディーのクリス(右)=富士フィルムシニア(千葉・ザ・カントリークラブジャパン)

 国内3ツアーのうち、シニアツアーが一足お先にと、11月5日に全日程を終了しました。今年のシニアツアーは全8試合。最終戦の富士フィルムシニアは海外からの特別シード選手、デービッド・J・ラッセル(57)が栄冠をかっさらうハプニングで幕が下りました。息子の欧州スコットランドのプロ、アリス(29)をキャディーに従え、世界中を旅している57歳の“渡り鳥”。日本には3度目の来日。4試合目での初優勝で、本場イングランドゴルフの“強さ”をみせつけました。賞金王は今季2勝した金鍾徳(キム・ジョンドク=韓国)に輝き、シニアツアーも海外パワーをひしひしと感じさせる今シーズンでした。
 
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 今年の国内シニアツアーは、昨年の10試合から2試合減の8試合でした。開幕が7月という異例のシーズンでしたが、試合数が少なくなった分、賞金王争いも1試合1試合が重要な1年でした。開幕のトータルエネルギーCUPでレフティー羽川豊が勝ってから5戦まではシニア初優勝者が誕生、シニアツアーの勢力分布も大きく変わってきたことを印象づけました。秋の陣に入って6戦目の皇潤カップ日本プロシニアで金鍾徳が勝ち、初めて今季2勝を挙げた選手が出現。7戦目の日本シニアオープンではシニアでは百戦錬磨の室田淳が激戦を制してシニア7勝目を飾り面目を保っての最終戦でした。
 
 賞金王レースは、今季2勝した唯一の選手、金鍾徳が断然有利でトップを走り続けました。最終戦の「富士フィルムシニア」での逆転賞金王は、室田淳が優勝した場合のみで、それも金鍾徳がこの試合で6位以下に落ちたときのみというものでした。その室田は17位と振るわず、金は逆に2位に食い込む“実力”をみせて、勝負になりませんでした。“2位争い”で白浜育男が初日、2日目と首位を守り、2人目の“今季2勝”(白浜は皇潤クラシックシニアで1勝)を果たすかとみられましたが、その間を縫ってスルスルと頭をもたげてきたのが、イングランドからの刺客、D・J・ラッセルでした。
 

大柄な体を操りながらコンパクトでシャープなスイングをみせるD・J・ラッセル(ザ・カントリージャパン)
大柄な体を操りながらコンパクトでシャープなスイングをみせるD・J・ラッセル(ザ・カントリージャパン)

 初日から67のベストスコアで白浜と1位を分け合う好スタート。2日目は70で1打差の2位に落ちましたが、最終日は白浜、萩原浩一と最終組で回ったのですから、優勝しても不思議ではありませんが、日本選手の熾烈な賞金レース争いとはかけ離れた“ノープレッシャー”の最終日だったでしょう。欧州ツアーのプロ、クリスがキャディーバッグを担ぎ、“二人三脚”の戦い。大柄な体ながらコンパクトでシャープなスイングは、さすが欧州の寒さや風を戦い抜いてきたベテランのゴルフでした。最終日の16番で持病の左ひざ痛が勃発。「残り3ホールをどう戦うかだけを考えて最後プレーした」と、この3ホールを1ボギーで切り抜け、2位金鍾徳に2打差をつける11アンダーの日本初優勝でした。
 
 特に息子のクリスとのコンビネーションが絶妙でした。顕著な1例を挙げましょう。最終日14番(559ヤード、パー5)。「会心の当たりで左ラフ。セカンドでグリーンを狙おうとしてたのだが、クリスから“ここは狙うところじゃない”とアドバイスされて、6番アイアンでレイアップした。3打目は7番アイアンでグリーンの真ん中にオン。複雑なアンジュレーションの25メートルのバーディーパットが入った」(ラッセル)のです。このとき「ああ、きょうは私の日だと思った」と、優勝を確信したそうです。
 

古森重孝大会会長(富士フィルム社長・CEO=左)から優勝カップを受けるD・J・ラッセル(右)=富士フィルムシニア選手権
古森重孝大会会長(富士フィルム社長・CEO=左)から優勝カップを受けるD・J・ラッセル(右)=富士フィルムシニア選手権

 クリスとはこの2年間、世界中を一緒に旅してきました。「よかったとき、悪かったとき、いつも息子と一緒に過ごせたのは楽しかった。そして最後に日本でこんなすばらしい優勝ができたのは最高。プロになって38年、いまが一番だし、勝った試合の中で最高額の賞金(1400万円)をもらって興奮してるよ」とラッセル親父。
 そのクリスはこの試合を最後に、来年からはキャディーをやめて自身のプロゴルファーに専念することが決まっているそうです。まさに「最終戦でのメモリアル優勝」でした。
 
 ところでデービッド・ラッセル。今回の来日は「前年の欧州シニアツアー賞金ランク10位以内の上位3人に日本のシニアツアー出場権を与える(日本からも同じ)」との日欧間の“特別シードルール”で日本シニアに挑戦しています。前週の日本シニアオープン(広島・八本松)にも出場、27位と頑張りをみせ今回日本2試合目でした。これまでは2009年のHANDA CUP フィランスロピー シニアと2010年のHANDA CUP シニアマスターズに出場しており、3度目の来日、4試合目の初Vでした。
 

日本4試合めでの初優勝。「自身最高額」という1400万円の賞金に興奮しながら日本のファンに挨拶するD・J・ラッセル(富士フィルムシニア=千葉・ザ・カントリークラブジャパン)
日本4試合めでの初優勝。「自身最高額」という1400万円の賞金に興奮しながら日本のファンに挨拶するD・J・ラッセル(富士フィルムシニア=千葉・ザ・カントリークラブジャパン)

 この優勝で24ヵ月(来年から2年間)の日本シニアツアー出場権を得ましたが、日程を調整しながら日本シニアツアーに挑戦するそです。
 「日本のトーナメントは運営が隅までいき届いていてすばらしい。感銘を受けた。選手もお互いが尊敬し合い、うまくコミュニケーションをとっている。これまでいろんな国にいったけど、そういうことを感じたことはこれまでなかったね」と、すっかり日本びいきになったよう。向こうでは欧州ツアーのディレクター、シニアツアー委員会の委員長もやる傍ら、親友のイアン・ウーズナムと組んでゴルフ場設計会社を立ち上げ、コース設計もしているという実業家でもあります。
 
 日本シニアツアーにも、日本には馴染みのない外国人プレーヤーが来年からも続々登場してくることが考えられます。脅威の存在にもなりかねませんが、今度の優勝で日本シニアの賞金ランキング5位に入ったラッセルは「日本ツアーをホームツアーにはしません。来るときは優勝者の資格などで出場します」と、宣言。そのため、賞金ランキング31位にいた海老原清治が、一つ繰り上がって「賞金30位以内がシード選手」に滑り込んだうれしい余話もありました・・。