百戦錬磨、隣国日本ツアーに帰り着いた申ジエ。新鋭・藤田光里を寄せつけなかった”強さ”!

″太っちょ・申ジエ〝から、ダイエットしてスマートになった申。ショットの安定度もアップ?(ニチレイレディスで)
″太っちょ・申ジエ〝から、ダイエットしてスマートになった申。ショットの安定度もアップ?(ニチレイレディスで)

日本でもおなじみの申ジエ(26=韓国)が、日本ツアーで4年ぶりの通算6勝目を挙げました。今季、5年間戦った米ツアーから日本ツアーに主戦場を変えたとたん、ニチレイレディス(千葉・袖ヶ浦新袖コース、6月20~22日)で強さをみせつけました。ちょっぴり太っちょだった申ジエが、見違えるようにダイエットした″細身〝に変身しての
完全優勝。随所に精錬されたスーパーショットをみせ、最終日、19歳の新人、藤田光里に2度追いつかれる場面にも、15番からの4ホールで3バーディーを奪って突き放しました。また一人、日本女子ツアーに強敵の参入です。

☆     ★     ☆

4打差あった2位との差が、最終日みるみる縮まったのには、周りを驚かせました。その″主役〝は、2位で追っていた19歳の藤田光里。北海道・飛鳥未来高卒。北海道女子アマ、09年から5連覇した大物。昨年のプロテスト一発合格。LPGA新人戦、加賀電子カップにも勝ち、ファイナルQT(ツアー出場予選会)トップ通過・・と、すこぶる付の実績で今季のツアーにフル参戦している飛ばし屋です。前半9ホールで3バーディー。10番もとって2度までも首位の申ジエと肩を並べました。「きょうはボギーを打たないようにと思ってスタートしたのに、1番でいきなりボギー。藤田さんがどんどん伸ばして10番までに4アンダーで回っていたので緊張しました」と申ジエ。

今季「日本ツアーを主戦場に」と宣言した申ジエ。ニチレイで早くも復帰1勝目(千葉・袖ヶ浦CC新袖コース)
今季「日本ツアーを主戦場に」と宣言した申ジエ。ニチレイで早くも復帰1勝目(千葉・袖ヶ浦CC新袖コース)

これで試合はグンと面白くなったのですが、バックナインに入って初優勝がちらついてきた藤田にかかってきた重圧は明らかでした。追いついて迎えた12番で、第1打を左に曲げて林の中。3オンしたものの最後80㌢を外す3パットでダブルボギーの洗礼。「藤田さんがダブルボギーを打ってくれて少し余裕ができた。でも同じ舞台でプレーする身としては、もったいない気がしましたね」と、気の優しい申が同情する藤田の突然の乱れ。これで初優勝を遠ざけてしまいました。18番でバーディーを奪ってホールアウトした藤田は、自己最高位の2位。3度目の最終日最終組を経験して「(最終日も)アンダーパーで回れたし、これで自分も戦えると思いました。これをバネにしないと・・」と、悔しさの中に満足感も漂わせました。前日も9バーディーを奪って最終組にのし上がってきた藤田は何かを持っています。しかし、″世界の申ジエ〝と最終日の勝負をかけるには、いま少し時間が必要なのでしょう。

若い藤田が終盤のプレッシャーに泣いたのとは対照的に、申の大詰での強さは際立っていました。15番では13㍍のスライスラインを読み切ってバーディー。パー3の17番は、グリーン奥のラフに外し、返しはピンへ13㍍。これを60度のウェッジでふわりと上げ、最後は転がすソフトなショットで鮮やかなチップインバーディー。パー5の18番は、同じ60度で1.5㍍につけるアプローチのあと、これをきっちり沈めるバーディーフィニッシュは圧巻でした。終わってみれば2位とは4打差がつく強さでした。

★申ジエの優勝コメント

3度目の最終日最終組で強敵・申ジエに挑んだが、後半に崩れて初優勝おあずけになった藤田光里(ニチレイ=千葉・袖ヶ浦新袖コース)
3度目の最終日最終組で強敵・申ジエに挑んだが、後半に崩れて初優勝おあずけになった藤田光里(ニチレイ=千葉・袖ヶ浦新袖コース)

「このコースはグリーンが小さくて、ピン位置も難しかったので、距離感などが難しかった。スタート前、アプローチの練習をしっかりしたのがよかった。17番のアプローチは決定的になった。今日はショットがぶれていたので自分のリズムを取り戻すのに時間がかかった。優勝したいという欲もあったし、心の負担があった。久しぶりの優勝だったし、そういうときもあります。今年は春先、成績がなかなか上がらなかったので、優勝できて気持ちが楽になった。以前はインターナショナルプレーヤーとして、日本でも何回かプレーしましたが、いまは日本の協会員として戦っているので心構えが違う。日・韓・米でプレーしていて、日本でいいプレーをしてアメリカに帰るという感じでしたが、いまは違います。アメリカでは賞金ランキング1位にもなったし、世界ランキング1位にもなった。アメリカで戦う目標がなくなった。今週も全米女子オープンが行われていますが、アメリカに未練はないので、日本ツアーを選びました。いまは1年を通して日本で成績を上げたいという目標があります。日本に慣れるには時間が必要。日本の文化を学び、慣れること。日本のコースでプレーするには、自分のプレースタイルも変えないといけない。この優勝で、少し日本に近づいたと思います。いまは、4月から東京に住んでいます。アメリカでやっているときもアメリカに家があったし、安らぎを得る、楽に思える空間が必要です。(日本でプレーするのは)自分の中で、ここ何年か経歴などで生意気になったり、自分を見失っていた。日本ツアーはアメリカより素晴らしいところもあります。自分を探すために、日本で一生懸命やってみようと思います。7月の全英リコー女子オープンには出るつもりです」

雨中戦になった最終日も大勢のギャラリーがつめかけたニチレイレディス(千葉・袖ヶ浦新袖コース#1ティー)
雨中戦になった最終日も大勢のギャラリーがつめかけたニチレイレディス(千葉・袖ヶ浦新袖コース#1ティー)

″韓国の慶応〝と呼ばれる名門・延世大学に学び、性格も素晴らしい申です。優勝インタビューでも、さすがと思わせる深みのあるコメントを披露してくれます。心優しく「スマイル・エンジェル」の呼び名のついた申を慕っている日本のプレーヤーやファンも少なくありません。申の日本ツアー初参戦は、08年3月のヨコハマタイヤPRGR。横峯さくらとのプレーオフを制していきなり初優勝。
その年の全英女子オープンではメジャー初V。11月には日米ツアー共催のミズノクラシックで2位に6打差をつけて優勝。08年12月、プロテスト免除で米ツアー会員になりました。米ツアー本格参戦の09年は3勝して賞金女王。10年にはミズノクラッシクでまた勝ち、韓国ツアーでは通算20勝を達成して、韓国ツアー永久シード権も取るなど、まさにインターナショナルプレーヤーの面日躍如です。 10年12月には視力矯正手術を受け、トレードマークだったメガネを外しました。11年は中盤にスイング改造に着手して未勝利。12年5月には左手首の内視鏡手術・・と、申にもしのび寄るスランプのカゲが見え始めましたが、12年9月の米ツアー、キングスミル選手権、全英リコー女子オープンで派手な復活2連勝を遂げて不死身の申をアピールしました。13年は米ツアー1勝で、賞金ランクは22位。これを最後に今年4月に26歳になった14年は、日本ツアーを主戦場とすることを宣言していました。

韓国勢では、アン・ソンジュ(26=今季3勝、ツアー通算16勝)、イ・ボミ(25=今季1勝、ツアー通算6勝)が、いま日本での両横綱ですが、百戦錬磨、世界を渡り歩いて豊富な経験を積んだ末に母国・韓国に近い日本に帰り着いた申ジエが加わります。いま、流行の若い力とはまた違った″強いゴルフ〝で、韓国パワーは日本女子ツアーに存在感を発揮しそう。注目です。