久々”爆発男”の本領! 大病を乗り越え通算28勝目を挙げた41歳・片山晋呉

2ヵ月半の戦列離脱から這い上がった片山晋呉。奇跡の復活Vで通算28度目の優勝カップ(カシオワールド=高知Kochi黒潮CC)提供:JGTO
2ヵ月半の戦列離脱から這い上がった片山晋呉。奇跡の復活Vで通算28度目の優勝カップ(カシオワールド=高知Kochi黒潮CC)提供:JGTO

41歳の永久シード選手、片山晋呉がついにやりました。6月には頸椎ヘルニアを発症して神経をやられ、手がしびれ、腰が動かなくなっていました。6月から8月下旬までの2ヵ月半、闘病生活を余儀なくされた男の奇跡の復活劇です。カシオワールドオープン(11月27~30日、高知・Kochi黒潮CC)。4位から出た最終日、バックナインに入った12番から4連続バーディーの爆発で一気に首位を抜き去り、8バーディー、1ボギーの65で通算17アンダー。2位に3打差をつける劇的な逆転優勝。優勝賞金4000万円をゲットしました。昨年10月のコカコーラ東海クラシック以来のVで通算28勝目ですが、00年、ツアー残り4試合で3勝を挙げ、大逆転で初の賞金王を奪った〝爆発男・晋呉〝の本領を彷彿(ほうふつ)させる1戦でした。残る最終戦、ゴルフ日本シリーズJT杯(4~7日、東京よみうり)でも主役になるかも・・を思わせました。

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完ぺきなショットを披露した片山晋呉。最終日バックナインで劇的な4連続バーディーで逆転Vを奪った(高知Kochi黒潮CC)提供:JGTO
完ぺきなショットを披露した片山晋呉。最終日バックナインで劇的な4連続バーディーで逆転Vを奪った(高知Kochi黒潮CC)提供:JGTO

自分のゾーンに入った晋呉のバックナインは神がかっていました。8番パー3でバーディーを奪い首位に並んでターンすると、12番で3㍍につけてこれを沈めました。「これで行く流れになったな。フェアウェイにいったら全部ピンを狙おうと思った」と晋呉。13番ティーに向かう下り階段は「左かかとが痛くて」(晋呉)と、クラブを杖にしてゆっくりと降りました。しかし、フェアウェイからのセカンドは正確でした。PWでピン1㍍弱。″OK〝に近いショットでバーディー連取。14番のパー3は下り6㍍を読み切ってフックラインを沈めます。コブシを突き上げる大きなガッツポーズが、このパットの大きさを表していました。「あのパットが入って、勝つときはこういうのが入る。勝てるかなと思った」(晋呉)と。続く15番も左ラフからピン左6㍍とやや距離がありましたが、これも入れます。ゾーンに入った晋呉の視界には、アンダーを重ねてトップで切るテープしかなかったのでしょう。

スタート前、左打ちのスイングで調整する片山晋呉
スタート前、左打ちのスイングで調整する片山晋呉

終盤にきて驚異の4連続バーディー。一つ後ろの最終組には、ツアー2勝とはいえ25歳の小平智、22歳の今平周吾、欠場者が出てウェイティングから滑り込んだ28歳の平本穏の3人。晋呉のナイスプレーに湧くギャラリーの大歓声が最終組に届きます。「後ろからは(自分たちは)丸見えだし、たまんないだろうなと思っていました」と晋呉。大歓声が、若い最終組への重圧になることは百も承知していたのです。小平が15、16番でボギーをたたき、平本、今平もずるずると後退して圏外に去っていきました。代わって冨山聡が、上がり3ホールをバーディーにして追いすがりましたが、2位に浮上するのが精いっぱいでした。

ドライバー、アイアン、そしてパターまで完ぺきに近いゴルフをした晋呉。最終18番は残り105ヤード、バックスピンであわやイーグルかと思わせたショットはカップ20㌢について、カッコいいフィニッシュ。怒涛の逆襲はさすが百戦錬磨、永久シード選手の貫録でした。昨年10月、5年ぶりにツアー優勝(東海クラシック)。40歳になった晋呉のカムバックかと騒がれましたが、今季は厄介な病魔に襲われ、ここまで満身創痍での戦いになっていました。苦しかった2ヵ月半を晋呉が振り返りました。

ティーグラウンドで飛行方向を確かめる片山晋呉
ティーグラウンドで飛行方向を確かめる片山晋呉

「ミズノオープン(5月29日~6月1日)の初日の夜に、手にしびれがきて・・。そのしびれはずーっと今も変わらない。右手の親指と人差し指。いまも感覚がないんです。
ミズノオープンはなんとかプレーした(34位タイ)けど、次週の日本プロの会場に行ったら腰が動かなくなって、そこから欠場が始まったんです。検査したらこれは全然ダメだよと言われ、神経に触れていて歩けなくなった。家で3週間くらい大変でした。松葉杖ついたりね。冬場はあるけど、夏場にこんなに悪くなって3ヵ月も球を打たないということはいままでなかった。ヘルニアですね。首と腰。今年は休む年かな、と正直思いましたね。ゴルフができないときはなんか、やったことのないことをしようと思って植木をさわったり、蘭を買ってきて眺めてみたり・・。いまも家の壁際に観葉植物が並んでますよ。また皇居回りを走ったり、都内で行ったことのないスポットへ行ってみたり、やったことのないことをたくさん経験しましたね。一番ひどいときは1日6軒くらい病院を回ったことがあります。こちらはふてくされていて、マネジャーと喧嘩になったりしたこともありました。40代になって、ケガに関しては凄く感じるところがあるけれど、ゴルフ自体に関しては球も飛んでいるし、ショートアイアンもうまく打てるし、全然ゴルフ的には衰えたと思うところはないですね。できることをコツコツやるだけだけど、これでワールドランキングも100位以内に戻れるだろうし、来年どうやって行けるかということですね。去年せっかく良くなって勝てたでしょう。今年は賞金王になってマスターズにまた行ってやろうと思っていたのに、こんなことになって″えっ〝と思ったんですよ」

中尺のパターを駆使、独特のグリップでパットする片山晋呉
中尺のパターを駆使、独特のグリップでパットする片山晋呉

9月には、晋呉とネスレ日本が手を組み、国内男子ツアーに属さない新規トーナメント「片山晋呉招待ネスレ日本マッチプレー選手権」(静岡・葛城GC=非公式競技)を開催しました。優勝賞金は日本オープンと同額の4000万円に加え、海外挑戦資金1000万円を与えるというビッグな1戦。国内ツアーの既存のルールに縛られない自由と理想を求めたトーナメントとして注目を浴びましたが、ホスト役の片山晋呉がプレーできないとなると、寂しい試合になると心配されました。しかし、この試合を目指して女子ツアーのサマンサタバサレディース(茨城・イーグルポイントGC)のプロアマ戦(7月17日)にゲストとして姿をみせ、トーナメントとは程遠い軽い調整程度でしたが、久々にプレーを披露しました。9月12日から2日間のネスレ日本マッチプレーにはなんとか出場しましたが、1回戦で敗退。大会ホストプロとして裏方の仕事に専念しました。それから2ヵ月余り、よくぞここまで復調にこぎつけたものだと感心します。

晋呉は未勝利だったプロ4年目の98年春、胸部椎間板ヘルニアの手術を受ける大病を経験しています。復帰が危ぶまれた同年6月にツアーに戻ると、8月の「サンコーグランドサマー」で初優勝を遂げるドラマを演じました。今年はそれ以来かという大病に襲われた晋呉ですが、不死身の強さは、最初の病から立ち直って通算25勝を挙げ、6人しかいない永久シード選手に到達したことで実証しています。ゴルフ界きっての理論派でもあり、独創的な練習方法を採り入れたり、一風変わったアドレスへのルーティーンを創り出したり、とにかくいいと思えばどんなことでも採り入れてきたのが″晋呉ゴルフ〝です。ブランクを乗り越え、40歳代2勝目を挙げたこれからが、また見ものになってきました。