マスターズも終わった翌週、国内男子ツアーがやっと開幕しました。その開幕戦を勝ち取ったのは、プロ11年目、29歳の重永亜斗夢(アトム)。最終日、最終組で片山晋呉、石川遼と同組で回り、通算12アンダーで逃げ切ってのツアー初優勝はお見事。東建ホームメイト杯(三重・東建多度CC名古屋)。初日、2日目と石川遼がトップを快走。そのまま逃げ切りかと思わせた3日目に、熊本地震発生からちょうど2年目のこの日、熊本出身のアトムは自己ベストの63で一気に石川を抜き去って首位に立ち驚かせました。最終日も追いすがる石川を1打差の2位に追いやっての逃げ切りV。「永久シード
プレーヤーの片山晋呉さんと、1時代を築いた石川遼と最終日、最終組で回って勝てたのは、死ぬまで自慢できます」ー11年目に花咲いたアトムが持っている難病とは?
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花粉症用の白いマスクを最後まで離さず、ひょろりと痩身(そうしん)のアトムが、弓のようになって振り絞るゴルフが圧巻でした。自身4度目の最終日、最終組。3日目の63で浮上した首位の座は2位の片山晋呉、石川遼に4打差をつけていました。最終日、4打あったその差は前半9ホールを終えて1打差に。6番のパー3では1打目を右の池に入れてダブルボギー。7、9番でもボギーが続き一気に貯金を吐き出したのです。
「いつもならズルズルいくところ、きょうはとにかく遼についていこうと思った」(アトム)。緊張感だけは絶やさず、グリーンを外してもコツコツと″寄せワン〝を貫いていくしぶといゴルフを心がけました。石川遼が16番(パー3)、17番(パー5)の大詰にきて6~7㍍のバーディーパットを連続で沈める追い上げ。しかし、17番ではアトムも2オンした8㍍のイーグルパットを「強気で打てた。いつもなら寄せにいってしまうのに」と、イーグル外しのイージーバーディーではね返しました。
普段からよく弱音を吐くというアトム。 「今年から心がけているのは、腐らないこと。ミスしても自分が思ったように打ってミスになったものは仕方ないと割り切ってやる。″風、吹くなよ〝とかの弱音はいいますが、それに当たったりしない。今年は愚痴はいわない」(アトム)
1打リードの18番は3Wでティーショット。「フェアウェイではいいライに止まってくれて、ついてるなと思った」という。確実にパーにまとめてスキをみせず、最後まで盛り上がった優勝争いをモノにしました。最後 短いウィニングパットをする前、「晋呉さんが″ゆっくりマークして優勝の瞬間をゆっくり噛みしめて〝と耳元でささやいてくれました」とも。帯同の田中キャディーからは「最後くらいはマスクをとって挨拶しなきゃあ」といわれ、つけっぱなしでプレーしてきたマスクを取ってテレビに写し出される余裕もありました。2年前に起きた熊本地震のとき、和歌子夫人と2人の小さい娘を連れて車の中で2週間ほどを過ごしたというアトム一家。コースに駆けつけた2人の娘を18番グリーンで抱き上げ「あれをしたかったんです」ー。
復興途上にある故郷・熊本に悲願のツアー初優勝で元気を与えた″鉄腕アトム〝でした。
食べても食べてもひょろりと細身が変わらないのは、難病指定の潰瘍性大腸炎の持病持ち(13年に発症)のせい。緊張などで時折トイレに駆け込まなければならない苦しみも持ち合わせているゴルファー。172㌢で60㌔の″軽量〝ですが、中学時代は九州ジュニアを制し、沖学園高時代は全国高校選手権春季大会に優勝経験もあります。日大進学後1年で中退してプロ転向。その直後に左手首を痛めて苦しむ時代もありました。12年のQT3位。13年のQTは1位通過。14年に賞金ランク65位で初シード。15年はRIZAP KBCオーガスタで自己最高の3位に入るなど徐々に力をつけ17年も賞金ランク49位でシードを維持してきました。この珍しい名前は、レッスンプロの父親が「でっかい夢を持ち、北斗七星のようにアジアで一番輝け」との思いを込めて命名してくれたものです。
ユニークな新鋭の台頭に満足感を表したのは、今季選手会長、JGTO副会長も務める石川遼。アトムとはシーズンオフにはトレーニングを共にする同じ08年プロ転向組の僚友。「最終ホールの最後まで分からない戦いだったと思う」と白熱した1戦を振り返り「選手会長としても選手としてもベストを尽くして優勝争いができたので、100点の出来。自分は優勝には1歩とどかなかったけど、16、17、18番とショットの内容がよくなったので来週への収穫になった。これからもいろんなことをやって男子ツアーを盛り上げていきたい」と、力を込めていました。
前週に行われたローカル大会、千葉OP、岐阜OPを転戦して4日間で2勝を挙げた遼。調子を上げて本番に突入。開幕戦、優勝争いの末の1打差2位は満足のいくものでしょう。6年ぶりに国内ツアーに復帰した石川遼の一皮むけたゴルフにも、目が離せません。(了)