欧州を中心に“旅人ゴルファー”といわれてきた川村昌弘・30歳。今度は初めて米ツアーに挑戦です。10月末、米テキサス州アビリーンCCの会場で1次予選会に初トライ。4日間通算18アンダーの好スコアでトップと2打差の2位。“19位タイまで”の通過ラインを楽々クリアして11月の2次ステージ進出を決めました。2012年のプロデビューから活躍の場を海外に求め、18年には欧州ツアーのQスクールを突破。19年以降欧州ツアーのシードをキープしています。11月の2次予選(5会場)には6月「全米オープン」の予選通過で1次を免除された永野竜太郎も挑戦を予定していますが、2次ステージを突破し、さらに最終予選会(12月14~17日、フロリダ州TPCソーグラス)に進んで上位5位以内に入れば、来年2024年の米ツアー出場資格、40位以内なら下部の「コーンフェリーツアー」の出場資格をそれぞれ手にできます。5年間、欧州ツアーで辛苦の体験を味わった異色の“旅人”川村昌弘プロの、大転換を見守りましょう。
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これまで5年間、川村昌弘が欧州、アジアを中心に足を運んだ国と地域は実に70ヶ国以上に及びます。日本の国内ツアーは見向きもせず、海外ツアーを渡り歩いた異色のプロゴルファーです。GDOに連載中のコラム「いま僕はココにいます」の中で、30歳にして米ツアーへのチャレンジを決意した記事が掲載されています。それにはどんな背景があったのでしょう。
今年始めアラブ首長国連邦アブダビでの新年初戦に臨んだときのことです。いつもあったワクワク感が薄らいでいるに気づいてハッとしたという。学生時代から夢みてきた世界中を旅して歩くライフスタイルに一種の“慣れ”を感じ始めた自分。そろそろ新しい挑戦を始めなくてはいけないと、川村は今年の春から考え始めていたという。
母国の日本ツアーに戻ることより、世界最高レベルの米PGAツアーしか彼の頭にはなかったようです。コラムによると「米PGAツアーに行くには高い技術と精神力も求められます。昨年痛めた右手首などの影響で飛距離も落ちて、あまりいい結果も出ていない状態で大丈夫か、と考え続けた」という。そんな迷いが消えたのはが7月、欧州ツアーと米ツアー共催大会「バーバゾル選手権」と「バラクーダ選手権」に出場するため渡米したときでした。見知らぬ土地、初めてのコースでプレーすることが楽しくて仕方なかったという川村は、そのとき「悩むなら行こう。これまでもそうしてきたはず」と一大決心を決めたのです。まずはチャレンジ。これまで蓄えてきたキャリアと技術を信じてやるしかない。「いつか行きたかった場所の扉を、まずはノックしてきます」と、コラムでも発信しています。
1次予選会からの受験で、12月の最終予選までは3ステージの長い道のりになります。
意を決して先週渡米した川村の1次予選会は素晴らしいものでした。初日「65」と首位で飛び出し、最終日もボギーなしの5バーディー「67」をマーク、通算18アンダーはトップと2打差の2位フィニッシュ。次の2次予選は11月。「2次」⇒「ファイナル」と難関をあと2つ乗り越えなければならないのは容易ではありませんが、彼が世界で培ったモノは少なくありません。十分の休養をとり、ショット、パットの調整・準備をしっかりとやって次に臨むでしょう。
三重県出身。福井工大付属福井高出身。高校時代から非凡な才能を発揮し、とびぬけたセンスあるゴルフを発揮して優勝を重ねた川村です。ナショナルチームのメンバーを経て、11年末にプロ宣言。13年には国内でアジアンツアーと日本ツアー共催の「パナソニックオープン」で日本ツアー初優勝。この1勝を足がかりに活躍の場をアジア、欧州に広げました。今季の欧州ツアーでの成績は、24試合に出てトップ10入り4回。最高順位は3月の「マジカル・ケニアオープン」の2位でした。まだ優勝はありませんが、9月末日本の久常涼(21)が「フランスオープン」を制したのには大きな刺激を受けたようです。さて、欧州で戦ってきた男が今後も米国でどんなゴルフをするか。興味深々です。
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