やっと設立!「日本プロゴルフ殿堂」7人が殿堂入り。運営に「会員」募集とは!!

3年越し、やっと式典にこぎつけた「日本プロゴルフ殿堂」。殿堂入り顕彰者親族と関係者(東京、ザ・プりンスパークタワー東京)
3年越し、やっと式典にこぎつけた「日本プロゴルフ殿堂」。殿堂入り顕彰者親族と関係者(東京、ザ・プりンスパークタワー東京)

 米ツアーではタイガー・ウッズ(36)が数々の苦境を乗り越えて2年半ぶりの復活Vを果たした日、日本では昨年9月26日に設立、同10月26日に設立記者会見を行った「日本プロゴルフ殿堂」(広瀬道貞理事長)が、第1回殿堂入りの7人を顕彰する式典が東京で行われました。日本のゴルフ界で大きな功績を残した人を称える栄えある第1回の日本ゴルフ殿堂入りしたのは7人。宮本留吉、浅見緑蔵、戸田藤一郎、中村寅吉、小野光一、林由郎、小針春芳の7氏(小針氏以外は故人)。日本プロゴルフ協会、日本女子プロ協会、日本ゴルフツアー機構の国内3団体が同殿堂を設立し、今後年1回選出していきます。選考委員は羽佐間正雄氏(日本プロゴルフ協会名誉顧問・元NHKスポーツキャスター)、戸張捷氏(トーナメントプロデューサー)、武藤一彦氏(ゴルフジャーナリスト)、三田村昌鳳氏(ゴルフジャーナリスト)の4人。
偉業を称えるとともに、殿堂活動に賛同・支援していただける方を「会員」として迎えることも発表されました。

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殿堂立ち上げに協力した3団体会長と理事長。(左から)広瀬道貞理事長、森静雄PGA会長、海老沢勝二JGTO会長、小林浩美LPGA会長
殿堂立ち上げに協力した3団体会長と理事長。(左から)広瀬道貞理事長、森静雄PGA会長、海老沢勝二JGTO会長、小林浩美LPGA会長

 日本オープン選手権を最多の6度制した日本のプロゴルファーの草分け宮本留吉氏。1928年、19歳9ヵ月7日の日本オープン史上いまだに残る最年少記録で優勝した浅見緑蔵氏は、同年11月の日本プロにも勝った史上最初のグランドスラマー。18歳から56歳までメジャー15勝の鉄人・戸田藤一郎氏。1939年には6月の日本オープン、マッチプレーの関西プロ。秋の関西オープンは2位に7打差の圧勝。最後の日本プロは川名・富士コースでのマッチプレーで宮本留吉を降して4冠王。日本で初めて行われたカナダカップで個人・団体で優勝、日本のゴルフを世界に知らしめた中村寅吉氏。“寅さん”の名で親しまれ、樋口久子を育て、のちに日本女子プロゴルフ協会の初代会長に就任して日本女子の隆盛へと導きました。その“寅さん”と組んで団体優勝した小野光一氏。旧満州の大連に生まれ旧姓・孫子釣(ソン・シキン)。18歳で来日。日本オープンで1951、53、55年と1年おきに3度優勝。53年までは中国名の孫子釣。55年に日本名の小野光一に改名、3勝目を挙げました。戦後のゴルフ界を支え、1950年は9日間で日本オープンと日本プロが行わ・u桙黷スホームコースの我孫子で両大会を制するという離れ業を演じた林由郎氏。日本プロ4勝、日本オープン2勝、関東プロ、関東オープン各2勝。青木功、尾崎将司、海老原清治、福嶋晃子ら数多くの教え子がいます。現在90歳で地元那須塩原市で静かな日々を送っている小針春芳氏。日本オープン2勝、関東プロ、関東オープン各2勝。高いティーから小気味のいいショットを放ち「那須の小天狗」といわれました。1960年、兵庫・広野での日本オープン。優勝だった陳清波のスコア誤記による失格で、優勝が転がり込んだエピソードも有名。表彰式には子息の小針良一氏が出席。小針さんはビデオメッセージで「いま思うと、ただ自分のゴルフを一生懸命にやっただけ。栄えある第1回のゴルフ殿堂に選んでいただきありがとうございます」と、喜びを語っていました。

世界ゴルフ殿堂から招かれたジャック・ピーターCOOの祝辞を聞く桜の花に飾られたパーティー会場(ザ・プリンスパークタワー東京)
世界ゴルフ殿堂から招かれたジャック・ピーターCOOの祝辞を聞く桜の花に飾られたパーティー会場(ザ・プリンスパークタワー東京)

 式典が行われたのは、東京・港区芝公園のザ・プリンスパークタワー東京。初代理事長に就任した日本民間放送連盟の元会長(元テレビ朝日社長)・広瀬道貞氏の挨拶で始まりました。壇上の大きなスクリーンには、殿堂入りした各氏の現役時代のハイライトが写し出され、3年越しにやっと式典にこぎつけた会場を盛り上げました。殿堂を立ち上げた日本プロゴルフ協会の森静雄会長、日本女子プロゴルフ協会の小林浩美会長、今年から小泉直氏に代わって就任した日本ゴルフツアー機構の海老沢勝次会長も勢ぞろいしました。先輩格である世界ゴルフ殿堂のCOO、ジャック・ピーター氏もお祝いに駆けつけ、遅まきながら産声をあげた日本プロゴルフ殿堂へお祝いと励ましのスピーチを行いました。来賓には、日本プロスポーツ協会会長の島村宣伸氏の顔も見えました。

日本プロゴルフ殿堂と世界ゴルフ殿堂は、世界ゴルフ殿堂入りしている樋口久子、青木功、岡本綾子、尾崎将司4人の日本人を称え、ジャック・キミック氏製作の4人の実物グリップ型ブロンズ像を式典会場で発表した。世界ゴルフ殿堂に展示されるが、東日本大震災で被災した方々のため、シリアルナンバー付与の全世界限定各2500本を一般に販売する。収益金の一部が復興支援として寄贈される。価格は2200ドル(約18万円)
日本プロゴルフ殿堂と世界ゴルフ殿堂は、世界ゴルフ殿堂入りしている樋口久子、青木功、岡本綾子、尾崎将司4人の日本人を称え、ジャック・キミック氏製作の4人の実物グリップ型ブロンズ像を式典会場で発表した。世界ゴルフ殿堂に展示されるが、東日本大震災で被災した方々のため、シリアルナンバー付与の全世界限定各2500本を一般に販売する。収益金の一部が復興支援として寄贈される。価格は2200ドル(約18万円)

 選出されたのは、国内外で日本の男子ゴルフ界の草創期を支えてきた名プレーヤーたちですが、その7氏中6人までが故人。ただ一人ご存命の小針春芳氏も90歳の高齢で、在住の栃木・那須からは上京されず、子息の小針良一さんが出席。結局7人全員がそれぞれ顕彰者の親族が代理として壇上に上がり、顕彰状と記念品を受け取りました。プレゼンターは、宮本留吉氏には室田淳、浅見緑蔵氏には羽川豊、戸田藤一郎氏には服部道子、中村寅吉氏には樋口久子、小野光一氏には深堀圭一郎、林由郎氏には福嶋晃子、小針春芳氏には倉本昌弘の各プロが勤めました。
 広瀬道貞理事長は「予定より1年ほど遅れましたが、PGA、LPGA、JGTO、3団体の協力でやっとここまでくることができました」と、感慨深げ。森静雄PGA会長は「私も立ち上げ準備期間中に世界殿堂のあるフロリダのセント・オーガスチンを訪ねましたが、本場の殿堂のように、日本の殿堂も素晴らしいものにしていきたい」と話し、世界の第1戦で戦って勝った経験もる小林浩美LPGA会長は「一人のゴルファーとして間待ちに待った殿堂です。プロゴルファーにとって目標の場所、憧れの場所にしていきたい。それには世間からも認めてもらえるような立派なプロをみんなが目指さないといけない」と、ちょっぴり厳しい目で日本殿堂設立への喜びを語っていました。

 これからは毎年(期日未定)、該当者を選んでいきますが、表彰資格はまず基本的な表彰カテゴリーとして3つに分けられています。

A、1972年以前(ツアー制度施行前)に活躍し、または功績を残したレジェンド的プレーヤー
B、1973年以降に活躍した表彰資格を満たす男子現役世代プレーヤー
C、表彰資格(下記)を満たす女子プレーヤー

 その上での<表彰資格>
①表彰年度において満45歳以上であること。ただし、LPGAは単年登録者として10年以上在籍しているもの。
②PGA会員、LPGA会員およびJGTO会員として在籍10年以上であること。
③上記①②の資格者で次のいずれかに該当するもの。
 1:男子レギュラーツアー及び女子レギュラーツアーの年間賞金ランキング第1位者。

 2:日本プロ、日本オープン、ツアー選手権5勝以上のもの、または日本女子プロ、日本女子オープン5勝以上のもの。
 3:男女ツアー25勝以上のもの。
 4:日本プロシニア、日本シニアオープン5勝以上のもの。
 5:シニアツアー15勝以上のもの。 
 6:海外メジャー1勝以上のもの、等。

 
「この選考基準に適合したものの中から選びますが、有資格について表彰選考委員会で選考され、理事会で表彰者を決定していきます」(武藤一彦選考委員)

 次なる候補者には杉原輝雄(故人)、青木功、樋口久子、岡本綾子、尾崎将司、中嶋常幸、倉本昌弘、尾崎直道、小林浩美・・らと多士済々。どの順番で誰が指名されていくのか、興味はつきません。

日本プロゴルフ殿堂は、一般財団法人として殿堂入りの選考・顕彰を第1の事業として活動しますが、それとは別にゴルフに関する記録・書籍・使用道具などの収集・展示等の事業も行っていく計画です。3団体の協力でとりあえず立ち上げましたが、現在大きな企業等からのサポートはありません。これら活動趣旨にご賛同される方を「会員」として募集します。興味、関心のある向きは「日本プロゴルフ殿堂」(℡03-5472-5580)で詳細を聞いてください。