日本プロゴルフ協会(PGA)の会長の要職にありながら、日本シニアゴルフの最高峰、日本シニアオープンに勝つという離れ業を演じました。倉本昌弘、59歳。レギュラーツアーでは通算30勝を挙げている永久シード選手。「練習量はゼロ」といいながら、さすがの実力者のパフォーマンスですが、優勝賞金1600万円を獲得、今季の獲得賞金2693万1601円でシニア賞金ランキング1位に浮上してきました。現職会長のVは11代目のPGA会長の中でも初の快挙ですが「僕が試合に出て勝つことでサポートしてくれる企業が増えれば嬉しい」と、来季のシニアの試合数の増加につながることを示唆。″二足のわらじ〝で奮闘する「アクティブ会長」です。(10月30日~11月2日、兵庫・小野グランドCCニューコース)
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今季のシニアNO1を決めるメジャー競技ですから、4日間72ホールの長丁場です。2日目、67で首位に立った倉本は最終日、6打差7位から8バーディーの猛烈な追い込みを見せた渡辺司に、残り3ホールで1打リードを許していました。ところが16番(パー4)。2㍍のバーディーパットを決めて並びます。最終18番パー5。「渡辺が18番でバーディーをとっていないことを知って、自分の優勝だと思ってました。(グリーン右サイドの)池にもし入れても同スコアだし、池に入れなければ、バーディーはとれると思っていたから」―倉本らしい緻密な計算。3日間3Wで打っていた第1打に初めてドライバーを握り、勝負をかけます。フェアウェイを僅かに外しましたが、左のファーストカット。2オンを狙った235ヤードの第2打は5W。「ダフっちゃった。でも方向性は狂っていなかったから・・」と、ボールは池には行かず花道へ。ここから50ヤードほどのSWでの寄せ。ブレーキの利いたボールはカップ奥1㍍弱にピタリ。緊張の最終場面
でなんでもないかのように決めた最高の技。これを沈めてバーディーフィニッシュ。計算通り、4組先にホールアウトしていた渡辺司(57)を突き放したのです
「16番からの3ホールですね。優勝した人はそこで2バーディー。こっちは伸ばせなかったその差ですね」と、敗れた渡辺司の弁です。
今年2月、PGAの会長に就任。前体制時、PGA幹部役員が暴力団関係者との交際が発覚。大揺れに揺れたPGAの改革に乗り出した倉本会長は、多忙な毎日です。5000人超のPGA会員の意識改革にと、倉本会長は全国を飛び歩き、すでに2000人近い会員と直接会って話を続けています。4月にはPGAの行政庁である公益認定等委員会から、不祥事に関して厳しい内容の「勧告書」を受けました。これに答えるべくPGA内ではさまざまな対応を行っています。コンプライアンス委員会では今後の暴力団排除対策や再発防止策をまとめた報告書も作成、同庁に提出しました。またPGA内には「PGA119番」を設け、警察OBら専門家がPGA会員からの困ったときの相談に当たっています。会長自らも不当要求防止講習会を受講して暴排への意識を高めるなど、いまPGAは不祥事への汚名挽回へ危機感を持って対処しているところです。
多忙な会長が、もちろん練習もできない。シニアの試合などに出ている場合ではない、との声もありますが、倉本会長は「やることはいっぱいあるけど、シニアツアーも大事。私が試合に出ることでスポンサーが喜んでくれるのなら、出ようと決めているのです。特に会長就任1年目ですから、許してほしい。レギュラーの方にはもう出ません。来年はシニアの試合を増やしますよ。いまがうってつけのチャンスなんです。スポンサーも、女子ツアーにいきたいけど、ここは日程的にムリ。男子ツアーはといえば、ここは費用規模的に難しい。なら、シニアツアーへ来てください、というよな営業をしていかないとね」
今季のシニアツアーは11試合。倉本会長は「一度にではなくても15試合くらいにはもっていきたい」と、話しており、こうした″会長V〝などがスポンサー企業に好影響を与える期待は膨らんでいます。
今季のシニアツアーは11試合中9試合を終えました。倉本会長は9試合全部に出ています。今回の優勝を含め4試合でトップ10に入る好成績です。まだまだ飛距離は大きくは落ちていませんし、アイアンショットのキレはレギュラー時代を思わせるものがあります。メンタル的にも強い倉本のゴルフは、シニアではまだまだ通用するレベルにあるのです。ツアーではありませんが、男子ゴルフの2日間大会「ザ・レジェンド・チャリティ・プロアマ」(千葉・麻倉GC=5月)ではレギュラーの藤田寛之、片山晋呉、池田勇太、藤本佳則、近藤共弘らを抑えて10アンダーで″会長V〝を果たしています。それに次ぐ今回の日本シニアオープンのビッグゲームでの優勝。やはりレギュラー通算30勝の永久シード選手の実力はまだ衰えていないようです。
会長Vを果たした倉本昌弘のコメント
「4日間よくもったね。ホントに自分の優勝はないと思っていたのに、最後は会長としてではなく、選手としての気持ちが強く出ましたね。雨が降ってグリーンが止まったのが勝因です。雨でピンをデッドに狙えて、ショット力のある選手が上位にきています。渡辺司、尾崎直道、室田淳・・。日本オープンで頑張った田村尚之もね。ピン位置はシビアだったです。15アンダーも出たけど、雨が降らなければ、かなり大変だったと思う。そんなに優しいコースではないですよ。18番の3打目のアプローチは、寄るしかないから・・。ショートしても傾斜があってランが出る。大きくてもグリーンが柔らかいから止まってくれる。1㍍ぐらいには寄ると思っていました。いま、練習ができてないからカンは鈍っていますよ。だから長い距離のパッティングとグリーン周りのアプローチはダメですね。距離のあるアプローチは大丈夫だけど中途半端な距離がダメです。だから今週はショットでつけようと思っていた。4日間でパーオンしなかったのは2回だけ。グリーンを外さないようにと思っていて、その通りできたのがよかった。賞金ランク1位?会長が賞金王になったんじゃ洒落にならないですよ。賞金王は直道がといればいい。直道、室田、渡辺・・みんながPGAのためにサポートしてくれている。PGAは間違いなくいい方向に向かっています。残る2試合、富士フィルムといわさき白露にも出ますよ」
倉本昌弘といえば若い時から筋力トレなどで体を鍛え、「ポパイ」のニックネームがつきました。日大時代は小柄ながら飛び抜けた飛距離を武器に日本学生4連覇。日本アマ3勝。関東アマ2勝など、アマタイトルを総なめにしました。80年、アマチュアとして参加した「中四国オープン」で史上初のツアー優勝。81年のプロテストで合格。プロデビュー戦、後援競技の「和歌山オープン」でいきなり優勝。ツアーでも4勝して賞金ランク2位に入る鮮烈デビューでした。92年には通算25勝を挙げ、日本男子プロゴルフ史上5人目の永久シード選手となりました。92年には米Qスクールをトップ通過。93年は米ツアーに挑戦。成果は得られないまま1年で米国を撤退。1999年、PGAから分離独立した日本ゴルフツアー機構(JGTO)を立ち上げたとき、中心人物として動いた男として有名です。03年、アコムインターナショナル初日に、日本ツアー史上初の「59」を48歳で達成。シニア入りした05年に米チャンピオンズツアー(シニアツアー)の最終予選会をトップで通過。06年から3年間挑戦しました。08年限りで米シニアを撤退。国内シニアツアーを主戦場にしました。欧州シニアツアーにも参戦し、12年6月にはオランダでの欧州シニアツアー「ファンランスホット・シニアオープン」で、マーガレット京子夫人が初めてキャディーを務めて優勝。欧州ツアーは2勝目でした。その間、JGTOの副会長、選手会長、PGAの理事と両団体にまたがる役員を続けるなど、多彩な経歴を残し2014年からPGAの第11代会長に就任しました。
不祥事を起こしたPGAの再生に会長として心血を注ぎながら、プレーヤーとしてもまだグリーンに立つ″2足のわらじ〝 で奮闘する59歳。その足跡に4年ぶり2度目の「日本シニアオープン・チャンピオン」の名も加えました。風雲児・倉本昌弘は、ゴルフ界にまだ何かを巻き起こしそうです― 。