「夢のようですわ」ー55歳になった平石武則が、感極まったように喜びを表現しました。シニアゴルフの日本一を決める今年の日本シニアオープン選手権(三重県津市・白山ヴィレッジGC=10月29~11月1日)。シニア未勝利の平石は3日目に首位に立ち、最終日は前半を終わって室田淳(60)、米山剛(50)に並ばれて3人トップの大激戦。その中から二枚腰の粘りを見せた平石が、4バーディー、3ボギーの71で抜け出し、米山を1打差に抑えて悲願のシニア初優勝を日本タイトルのつくメジャーで飾りました。平石はシード選手でもなく、シニアオープンの予選会(愛知・南山CC=Cブロック)に挑戦してトップ通過。晴れて本戦の出場権を得ての大金星でした。世代交代の激しいシニアツアーに、また一人シンデレラ男の登場ですー。
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シニアになった直後の52歳のとき、鳥取・大山GCの総支配人に就職。いったんはツアーから離れた背広組で、ビジネスに精を出していた平石です。1年半のクラブを握れない生活から、シニアツアーに戻ってきて2シーズン目。「(人に)頭を下げるのは上手くなりましたよ」と笑う平石ですが、復帰したての頃は″パターイップス”に襲われて、手が思うように動かなくなり、長尺パターのお世話になる苦しみも味わいました。レギュラー時代はKBCオーガスタで1勝を記録していますが、それから数えて14年ぶりの優勝の味です。
最終日の平石、3打差あったリードが前半1バーディー、1ボギーの足踏みの間に″シニアの鬼”室田とシニアルーキーの米山に追いつかれ、8アンダーで3人が並びます。後半に入って2バーディーを奪い、再び3打のリードをとった平石が、終盤に入った16番17番で連続ボギー。また8アンダーに戻って米山と渡辺司(58)に1打差に迫られて最終18番を迎えるという厳しい展開でした。
パー5の18番。2オンしてきた米山の4㍍のイーグルパットが決まれば逆転もありという切羽詰まった場面で平石の″技”が光リました。114ヤードの第3打、PWのショットがあわや直接入るか、というピンそばに落ち、10㌢につきました。″OKバーディー”で9アンダー。これを見た米山のイーグルパットは、カップ左を抜けてプレーオフもなし。平石の技ありの逃げ切りでした。
15番(パー4)でも残り40ヤード強のアプローチを″ジャストイン”で直接放り込むバーディーを奪うなど、彼に言わせると「何かが降りてきた感じがする」ツキがありました。実は米子に赤猪岩(あかいいわ)神社という再生の神を祀る神社があって、友人から教わったその神社に、平石は2年前からお参りを続けているという。今回もその神社にお参りしてから会場に来たそうですが「ツアー優勝」「ツアー復帰」と記したお札と絵馬も身につけているとか。
「15番とか18番とか、あり得ないことが起こって、これも何かあるんじゃないかと・・」と、勝負どころでの驚異的なショットの連発というご利益?を振り返っていました。
東洋大姫路高時代は野球部で、77年夏の甲子園で優勝した時のメンバーの一人。「5番・左翼」で好打のプレーヤーでした。卒業後にゴルフの道を選び、83年にプロ転向。野球選手でありながらさほどの長打力はなく、正確なショットを思うところへ運んでいくステディーなショットメーカーで通してきました。昨年のシニア賞金ランクは87位でシード外。今季は4月のシニア予選会(QT)を受けて32位と苦しい立場でした。地道なゴルフ人生を歩んできた静かな男が、優勝賞金1600万円のビッグマネーも得て、来季シードも確定(シニア2年目の11年以来)。突然のメジャータイトルが転がり込んだ平石武則のゴルフ人生は、今後どう変わるでしょうか。
「僕のゴルフスタイルはレギュラー時代から何も変わっていません。昔から我慢強いですよ。諦めることはあまりしません。野球をやっていたおかげで、高校野球3年間の経験がいまも生きている。自分さえちゃんとやっていけば、なんとかなる。ひざや腰に故障はあるけど、どうこうしてるわけじゃない。普通にやっていればシードはとれるのに、メンタル面が弱いのかも・・。その分苦しんでますかね」(平石)
◆平石の今季シニアツアー成績
金秀シニア 17位
KYORAKUシニア 24位
コマツ 54位
日本プロシニア 30位
日本シニアオープン 優勝
◆平石のシニア賞金ランク
2010年 13位
11年 29位
12年 42位
13年 ―
14年 87位
15年 5位(11月1日現在)