永久シード選手、42歳の片山晋呉がマスターズ2度優勝のバッバ・ワトソン(37=米国、世界ランク4位)を下して、嬉しい今季初優勝です(三井住友VISA太平洋マスターズ=静岡・太平洋クラブ御殿場コース)。ツアー通算29勝目は、いままで経験をしたことのない濃霧による視界不良で最終ラウンドが中止というハプニングがもたらしてくれました。朝の練習場で中止の報が入り、第3ラウンドを単独首位で終えていた片山の優勝と決まると、練習場で祝福の握手攻めにあう珍しい優勝シーンが繰り広げられました。3日目まで54ホールの短縮Vでしたが、通算14アンダー、3日間でボギーは1個という完ぺきな晋呉ゴルフは、堂々たる勝利。優勝賞金は75%の加算で2,250万円(スポンサーの好意で支給は100%の3,000万円)。史上7人目の最も若い永久シード選手の優勝で、生涯獲得賞金も尾崎将司に続く史上2人目の「20億円」に、あと94万円ほどに迫り、今季の賞金ランクは4位に浮上。残り3試合に興味が集まります。
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最終日の御殿場は、前日の大雨が止み、気温が上昇したことによって朝から濃霧が発生したのです。スタート時間を30分遅らせ、何とか競技を始めましたが中断が続き、上位選手がスタートする前、午前10時37分に最終ラウンドの中止が決定しました。日暮れが早い秋の大会では、ムリしてスタートしても最終組のホールアウトが危ぶまれるために取られた処置でした。
2位クロンパ(タイ)とは1打差、3位ワトソンとは2打差の大接戦を演じていただけに、最終日がカットされたことは片山の胸中は複雑。「そりゃあ、やりたかったけど、ホットした気持ちもある。勝利の味はちょっと違うでど、自然が相手だたか仕方がない。勝ちは勝ちだよ。今週はいいゲームをしていたから結果につながった。3日間完ぺきなゴルフをしていたのでボギーも1個だけだったからね。もがいてのもがいても勝てなかった時期のあったのに、こういう風に勝てる時もあるんだね」ー。
29勝もしているのに、(3日間になった競技はあったが)最終日がこういう形でなくなったのは「初めてじゃないかな」(片山)という。最終日をやっていたらどうなったかは神のみぞ知るですが、ツキも勝負のうち・・強敵がひしめく中、片山には幸運の女神がついていたといえるのかもしれません。
今季は好調なシーズンを送ってきた片山ですが、勝てそうで勝てなかったはがゆい日々が過ぎていました。秋の陣に入ってアジアパシフィック・ダイヤモンド杯は7位。次週の東海クラシックはプレーオフ負け(金亨成キム・ヒョンソン)。日本オープン6位。3週前のブリヂストンオープンは、3位から最最終日、最終組で回って崩れ14位に沈むありさま。心身ともに疲れ果てたその夜は、予約していたジムに行くのをためらったそうですが、思い切ってジムに行ったのです。
「あそこでふてくされて家にいたら、どうなっていたか・・。悔しいからトレーニングすると決断したのが、いま思うと行ってよかったのかなと。そういうことは小さなことだけど、大きなことになっていくのかなと思う」と話しています。
54ホールでボギーは1個。「いま技術的な不安はない」と胸を張る晋呉ですが、怠らずに続けてきたたゆまぬ努力が生きたのでしょう。171㌢、70㌔。決して大きくはない体。そこから発散されてくるパワーは人並みではありません。ゴルフ界きっての理論派で、アドレスに入るルーティーンを色々考えたり、右利きながらクラブの素振りでは左利きスイングも行い、体のバランスを保つようにしてきたのは、今では流行ですが、これをやったのは片山が最初ではないでしょうか。パターの構えも晋呉一流。左手で握り、右手は握らずに指を伸ばしてシャフトに添えるだけというユニークなグリップも、晋呉流の独創性に富んでいます。パターヘッドも様々なものに工夫を凝らし、今は瓦のように大きなソール部分が丸くカーブしている珍しいパターヘッドを使っています。日大時代からそうで、ショットするときのルーティーンを作るのに時間がかかり″スロープレー〝を指摘されたこともありました。プロになってからも晋呉の独創性は一層強くなり、合理的なクラブ選びや、かつて5Wや7Wの″ショートウッド〝をプロが採り入れたのも、片山が先駆者ではないでしょうか。
国内賞金王5回。01年の全米プロでは2日目に首位に並ぶなどで4位フィニッシュ。09年にはマスターズで4位と大健闘して登りつめました。このあと「ゴルフへの情熱も、なにもかも薄れてしまった。スイッチがなくなった」(片山)と話し、目標を見失ったようなゴルフでさまよう″燃え尽き症候群〝に悩まされましたが、13年コカ・コーラ東海クラシック、14年カシオワールドで久々に勝って、40歳代を迎えた晋呉は生まれ変わりました。
「30代後半でああいう気持ちになってしまい、いまではよかったと思えるんです。40代になってああなっていたら立ち直れないでしょうね。そう、若いときは、我が強くて失礼なことがあったかもしれない。いまは試合に出られるのは周りの人たちのおかげで、そんな人達に喜んでもらいたいという気持ちが強くなった」(片山)。
自分のためだけに上をみて戦った晋呉から、大きく脱皮したのです。人の弱さや優しさを知ったともいいます。個性豊かな片山晋呉に、また一回りの幅が出来たといっていいでしょう。
霧の御殿場は、08年今野康晴との霧中のプレーオフを制した記憶が蘇ります。そして今年。再び霧の御殿場でモノにした大会2勝目。「ここからまた時間が走り出すのでは、と自分に期待を込めている」と話す片山。42歳はもう若くはありません。しかし、いまワールドランキングポイントが上がり、今年初めてリオデジャネイロ・オリンピック強化選手に選ばれました。身体検査も受けました。「看護師さんから、40代になって初めて受ける人はいないといわれました。楽しみですともいわれました。ランキングを上げて、もう一回このゴルフならどうなのか、と試したい気持ちも・・。みんな飛ぶからハンディを背負ってその中で世界でやるのはシンドイとは思うけど、戦う気持ちが大事だね」
42歳の片山晋呉が初めて「オリンピックに出たい」と口にしました。なかなか厳しい世界でしょうが、その志やよし!といえるでしょう。
00年、土壇場4試合で3勝を挙げ、最大約6500万円差から大逆転。初の賞金王に輝く″奇跡〝を演出した晋呉です。今季残るは3試合(ダンロップ・フェニックス、カシオワールド、日本シリーJT杯)いずれも優勝賞金4000万円のビッグトーナメントです。賞金1位の金庚泰(キム・キョンテ)とは約8996万円の大差があるとはいえ、42歳・晋呉の戦いぶりを、とくと拝見しましょう。