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“日本のハリントン”(兼本貴司のこと)を倒し、今季の“不調”を一掃した宮本勝昌。今週は「全米シニアオープン」の大舞台に挑戦!

 

“日本のハリントン”兼本貴司(左)と同組で回り今季初優勝。「“ハリントン”に勝って自信になった。最高の対全米シニアオープンだった」とがっちり握手の宮本勝昌(右)=スターツ笠間GC=提供:PGA=

国内シニアツアー今季3戦目「スターツシニア」(茨城)が行われ、シニア賞金王・シニア3年目の宮本勝昌(51)がノーボギーの通算21アンダー、圧倒的な強さで今季初優勝、シニア4勝目を果たしました。宮本の今シーズンはスイングの不調でこれまで好成績が出ず、5月下旬に出場した「全米プロシニア」(ミシガン州)は通算1オーバーで39位。帰国してすぐ出た国内シニアの「すまいーだシニア」も62位。レギュラーツアーの「BMWツアー選手権」(茨城・宍戸ヒルズ)は8オーバー、60位と苦戦の連続。シニア・レギュラー掛け持ちのシニア3年生が、ようやく復調へののろしを上げた完全優勝でした。次戦は今週27日開幕の「全米シニアオープン」(ロードアイランド州ニューポートCC)への挑戦を予定しており、今季2戦目の海外シニアでのひと暴れが期待されています。

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「スターツ」の3日間ともノーボギーでベストスコアをマーク。完全優勝の宮本勝昌、今週は「全米シニアOP」挑戦だ(提供:PGA)

昨季のシニア賞金王がようやく覚醒です。「スターツ」初日から「66」のベストスコアを出し、2日目「65」、最終日はさらに上げて1イーグル、6バーディーの「64」。3日間ともベストスコアですから完ぺきでした。2日間同組で回った今季初戦「ノジマ箱根シニア」を制した兼本貴司が宮本を絶賛しました。「もう完ぺきでしたね。力感を変えず、コントロールショットもうまくペースを乱さずで、あ、これは勝てないなというのがありましたね」。お互い飛ばし屋では引けをとらない2人。脱帽する兼本へ、宮本も応える。「兼本さんは、こっちがいいショットをしたら褒めてくれるし、ナイスパットしたら、大きな声で声をかけてくれるし、一緒にやっていて気持ちがいい。ナイスガイですね、彼は。飛ばすだけでなく30ヤード~40ヤード級の長いバンカーショットを打つのは、兼本さんが一番うまいと思います。レギュラーに入っても3本の指じゃないかな。きょうも9番のバンカーでみせてもらいました。2日間一緒に回らせてもらって、最高の対全米シニアオープン対策でした。日本のハリントン(アイルランド出身のトッププレーヤー。シニア入りしてからも300ヤード超の飛距離を持ち、全米シニアオープン始め7勝の手ごわい選手)に勝ったのだからもう自信をもって全米シニアに行けそうです」(宮本)。

 

スイングに悩み今季“不調”だったシニア賞金王が、うれしい初Vで覚醒した=提供:PGA=

気の合ったご両人の2日間同組は、宮本のカムバックに大きなインパクトを与えたようです。
ショットに悩んでいる宮本は「ショットを打つ当て方の角度で“チョイドロー”じゃなくて“チョイフェード”のイメージがほしい。基本は真っすぐなんですけど」という。プロたちが悩むちょっとしたイメージの出し方なのでしょう。今回の試合は「シニアになってから一番いいゴルフができた楽しい3日間でした」と宮本。シニア世代になりながら昨年は13試合のレギュラーツアーにも出て優勝争いをした試合もありました。「レギュラーの方は苦しみながらやっています。でもそれがあるからこそ、シニアで勝てるんだと思っている。だからできる限りやるつもりです」と、どん欲な決意をもらしています。

パドレイグ・ハリントン(アイルランド出身)。全英OP2勝、全米プロ1勝など米ツアー6勝。シニア入りしてからも300ヤード超を飛ばし、全米シニアOPなど7勝を挙げている世界のトップ選手。

休む間もなく今週は再び渡米して、目指す「全米シニアオープン」へ突進します。今回、3日間で出した21アンダーというビッグスコアも大きな自信になるでしょう。かねてから「アメリカでプレーしたい」といい続けてきた男。今秋には米シニア(チャンピオンズツアー)のQT(予選会)にも挑戦する予定。米国で戦うために英語にも興味をみせ、いまはYoutubeが“先生”だが「QT受かったらちゃんと勉強するつもり」と真剣な米志向です。米最終予選会に出るためには、国内シニアの賞金ランクでトップに立つか、今年の米シニアの賞金ランキング100位以内に入る必要があります。今回得た優勝賞金1400万円はありがたい収入でした。

宮本はレギュラーツアー12勝。うち5勝が日本シリーズ、日本ゴルフツアー選手権などの日本タイトル。47歳で中日クラウンズ(2019年)を制し、99年には米ツアーにも挑戦。22年にシニア入りしたあとも、23年のシニアツアーには11試合出場して優勝3回を含むトップ10入り10回。圧倒的な強さでシニア賞金王を獲得しました。

(了)