17歳の石川遼が、どでかいことをやってのけました。日本ゴルフの最高峰・日本オープン(10月19日最終日)で単独2位に食い込む偉業を果たしたのです。舞台となったのは、玄海灘に面したシーサイドコース福岡・古賀GC。最高に仕上げられた難コースを遼クンは4日間、3オーバーで戦い抜きました。ただ一人のアンダーパー(-1)片山晋呉(35)がいなければ優勝していたという大成長ぶりでした。片山はじめ多くのプロたちがドライバーを封印してフェアウェイキープ戦法をとる中、遼クンは終始″マイゴルフ〝のドライバーのフルスイングで攻め続けたのも鮮烈でした。プロ宣言いらいまだ1シーズンが終わっていないいま、石川遼の進化には驚かされます。
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有力選手たちは遼クンの″ドライバー戦法〝には「?」をつけていました。総距離は7000ヤードをきるほどで、ここ10年で最も短い日本オープンでしたが、狭く絞ったフェアウェイ、深いラフ、硬く速く小さいグリーンは砲台状。それをガードするアリソン式バンカーは深くて目玉になりやすい。それに左右は松林・・。セカンドショットはフェアウェイからでないとグリーンをとらえきれない。「まるで全米オープンを戦っているようだった」と優勝した片山晋呉が述懐したほどです。大会前日、矢野東は「彼(遼)はいったい何、考えているんですかね。50ヤードからでもラフからだとボールを止められないですよ」と、遼クンの攻め方には疑問符を投げかけた。大会2連覇を目指していた谷口徹も「ホントにドライバーでいくのかな?すごいねぇ。松の林もあるし、ドッグレッグホールもある。ドライバーでいってもいいことは何もないような気がするけどねぇ」と首をかしげていました。
遼クンはそんな非難ごうごうの中、「僕はどこまでもドライバーでいく。怖れずにドライバーを振りきれるか、挑戦です」と真っ向勝負を宣言、それを4日間実行に移して成功。諸先輩連の冷ややかな目を押し潰したのでした。もちろんフェアウェイを外したホールもありましたが、何度もピンチを凌ぎ、パーキープを続けました。ドライバーがうなりをあげたホールも数多くあったのです。3番(522ヤード、パー5)では、残り200ヤードまで飛ばし、2オンこそなりませんでしたが、バンカーから1メートルに寄せてバーディー。4番(399ヤード、パー4)は残り80ヤードから2メートルに寄せてとりました。7番(365ヤード、パー4)も残り60ヤードから寄せてバーディーとしました。
「プロになって徹底して練習してきたことが実りました。日本オープンの高いレベルの中で成績がついてきたのがうれしい。きょうの自分には99点をあげたい。足りない1点は、最高のゴルフをしても上に片山さんがいたことです」と、最終日には自分自身を褒めあげた遼クンでした。
セオリーを無視?しながら自分のゴルフに徹しきった遼クン。最終日の2アンダー「69」は、S・K・ホとともにベストスコアタイでした。2日間以上アンダーパーを出したのは石川遼ただ一人です。ドライバーをフルスイングしても、そうは曲がらない高度な技術、グリーンを外してもみせた絶妙のリカバリーとパット。遼クンはそうしたものを急速に身につけてきたといえるでしょう。
獲得した2位賞金2200万円は、プロになって初めて手にするビッグマネーです。総賞金額は3931万円余として43位から19位へとランクを上げました。トーナメント優勝者か、大会前週で賞金ランク25位に入れば出られる日本シリーズJTカップへの出場権もほぼ手中です。遼クンが、夢としてきた「マスターズ選手」になる逸材であることも日ごとに実証されて、その実現の日もそう遠くはないかも知れません。世界ランキングは、この2位で426位から218位へと大きくジャンプアップ。今年は残り7試合。ビッグマネーのトーナメントも残っているので、これからがますます注目度をあげそうです。