表彰式では自ら“万歳”で喜びを爆発させました。立山光広(53)。東京・江戸川出身。15歳でゴルフを始め、伊澤利光らがいた日体荏原高を出てプロゴルフファーにはなったものの、レギュラー時代もシニアになってからも「優勝」にはほど遠かった男が、突然?の大爆発です。「日本プロシニア選手権住友商事・サミットカップ」(茨城・サミットGC)のメジャー大会で最終日3打差の2位から出て「66」の驚異的なスコアを出し2位をぶっちぎる通算19アンダーの逆転優勝。昨季のシニア賞金ランキングは64位。最終予選会も44位。出場試合は限られ今季は2試合目での“大駆け”に、有観客で北海道からも応援に駆けつけていた同級生らの仲間たち14人も大騒ぎです。この優勝で3年シードを獲得。シニアにひとり異色のチャンプが誕生です。
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プレーしながらもおしゃべりはするは、拍手には両手を挙げて応えるパフォーマンスもたびたび。何せ楽しい男ですが、肝心のゴルフの方は思うようにいかない“ゴルフ人生”でした。4歳のころから野球やサッカーには親しみ「あだ名は“甲子園”。それくらい(野球は)うまかったんじゃないですか」と笑って自画自賛する。野球よりボールがはるかに飛んでいくのが面白くてゴルフにも興味を抱きますが、「飛ばすことには自信もあったけど、周りからは一番向いていないスポーツをやっている」といわれていたという。プロテストは28歳のとき8回目でやっと合格。「長かったから、途中ではサラリーマンも経験しましたよ」という苦労人でもあります。
レギュラー時代は、2009年の「日本プロ選手権」(恵庭)、池田勇太がプロ初優勝を挙げたときの2位に入ったのが語り草ですが、それも7打差をつけられての2位でした。シニアに入ったのが2018年。伊澤利光や西川哲とシニアツアーの同期生ですが、シニアになってからは、「レギュラー時代にはなかったくらい一生懸命に練習をするようになった」とか。「トシをとっても戦えるステージがあるんだからと思えるようになったから」と、心境を明かしていますが、やはり“練習はウソをつかなかった”といえるでしょう。
今回、メジャー大会らしく7000ヤードを超えるコースでのシニアの大会。飛ばない人には厳しい舞台でしたが、“飛び”の立山には、戦える戦場だったのでしょう。4日間すべて60台で回り、しり上がりの好スコア。最終日は3打差の塚田好宣を追って1番のパー5でいきなりバンカーに入れたがフェアウェイに出し、2㍍につけてバーディー発進。勢いに乗って3連続バーディー。早々と塚田をとらえると、7番からは2度目の3連続バーディーとエンジン全開のゴルフを展開しました。21アンダーの大会最少スコア更新への期待が高まりましたが、最終18番で左の土手(ラフ)に打ち込み、唯一のボギーの上がり。しかし2位には4打差をつけての19アンダー。「(最後たたくのも)それも僕のゴルフなんで」と、さばさばとしたホールアウトでした。
表彰式。倉本昌弘PGA会長のあいさつのあとにマイクに向かった立山。「会長が全部言っちゃったんでどうしようかと・・」口ごもりながらも「(メジャーの覇者として)調子に乗らないようにして精進します(笑)。今回はよく練習したから勝てたのでしょう。ショットもパットも距離感がすごくよかった。これからもホールアウトしたらまたすぐ練習します。スピーチにも慣れるように頑張ります。はい、じゃあバンザイで」と、饒舌男に戻って有観客試合のフィナーレを締めくくりました。個性豊かなチャンピオンの誕生です。