日本女子ゴルフの最高峰・日本女子オープンは、シード選手でもっとも小柄な馬場ゆかり(28)が制覇しました。加えて会場となった名古屋GC和合コースの高難度の設定に、4日間で12オーバーパーでの優勝という歴史的な試合にもなりました。今年2月、「ビックカメラ」との所属契約を結んだばかりの馬場の優勝は、スポンサーとなったビックカメラもびっくり!の大喜び。すべてに珍しものずくめの今季女子メジャーNO1トーナメントの結末でしたー。
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08年4月にツアー2勝目を挙げて以来、3年半も勝利のなかった馬場ゆかりが、“突然”日本最高峰の女子オープンを獲りました。この2月1日、それまでフリーだった馬場と所属契約(1年)を交わしたばかりのビックカメラは、本人以上に手放しの喜びようです。
「会社を挙げて応援している馬場ゆかりプロが、非常に難しいコースセッティングの日本女子オープンを耐えに耐えて勝ち取ったのは、すごく感動しています。社員一同にとって大きな励みになりました」(ビックカメラ広報)
何せこの試合、大我慢大会というか、生き残りをかけたサバイバル大会でした。昨季、石川遼が世界最小の1ラウンド58をマークした舞台として記憶に新しいコースですが、もともと和合は、難攻不落の難コースとして名をはせた舞台です。ラフの伸びにくい春先(4月の中日クラウンズ)とちがって、たっぷりと水分と太陽を含んで生育した10月のラフは、大違いでした。NO1メジャーということで設定されたコースは、狭いフェアウェイ、深く粘っこいラフ、小さいグリーンは硬く締まっていてスピードがありました。
高難度の設定に加え、2日目は雨、3日目は強風で選手たちを苦しめました。初日からアンダーパーの選手はおらず、1Rはイーブンパー(70)5人のスタート。2Rは大会2連覇を目指す宮里美香が、1オーバーで回って単独首位。3Rはさらにスコアを落とす選手が多く、4オーバーの74の馬場ゆかりが、通算6オーバーで単独首位に躍り出ました。パーを獲ればどんどん順位は上がっていくというサバイバル戦。初日の横峯さくらは、3連続ボギーを2度もたたいて大きく出遅れたほどです。2日間を終わって、予選カットラインは14オーバーまでの選手62人が生き残りました。(88年のツアー制施行後、97年この大会の17オーバーなどに次ぐ4番目の悪いスコア)
最終日も壮絶でした。首位で出た馬場は、2番から始まったボギー行進で7番までで4ボギー。8番はダブルボギーで、8ホールで6つ落としました。2打リードでスタートした笠りつ子に逆に4打差をつけられ、もう絶望的にもみえました。しかし、今回の我慢大会は、違いました。「勝負はバックナイン」(馬場)と、耐えに耐えました。後半9ホール、12番をボギーにしただけで、他の8ホールをパープレーで凌いだのが、再びトップを呼び戻し、最後はタイトルまで奪いとりました。1度は2位に落ちたあと、大崩れしなかったのは、1メートル49の小さな体に詰まった負けじ魂です。最終ホール、同スコアできた笠りつ子がボギーにして勝利の女神は馬場に微笑んだのです。
優勝できなかった3年半。2位が6度もあった“万年2位”の汚名をもらった馬場でした。昨年だけをみても、サントリー2位はじめ単独2位3回、出場33試合中3位タイ以内が9回。自己ベストシーズンで夏場以降は賞金女王にも手が届こうかという活躍で賞金ランク4位。なんと9036万341円を稼いだ昨シーズンでした。今年の大飛躍への前兆だったのでしょう。
父親信弘さんの指導で、小さいころから剣道を習い、小2から始めたゴルフでは腹筋、背筋、腕立て伏せ、懸垂などの筋トレに励み、プロ入り後は毎日30分のランニングが日課でした。このハードなトレーニングは、シード選手中、最低身長の馬場を筋肉隆々、スイングもしっかりしていて長打力にも定評の強靭なプレーヤーに仕上げました。精神面の弱さが指摘されると、09年からは米西海岸在住のメンタルコーチ、松本進氏(44)について、精神面と、コース戦略の指導を受ける努力を惜しみませんでした。「目の前の1打への集中が変わってきた」(馬場)そうです。
今年1月には親しいプロ野球ソフトバンク新垣渚投手らと厳しいハワイ合宿を2週間こなし、とにかく体格差をトレーニングで補ってきました。女子プロ史に残る過酷な戦いをプロ10年目で制した馬場ゆかりです。ツアー2勝目を挙げて以降、最終日、最終組で回ったのは、今回で13度目。あと一歩で勝てなかった“万年2位”をついに返上しました。先日現役引退を表明した古閑美保とは同年生まれですが、最高峰を制した馬場ゆかりは、“小さな大選手”への登竜門を抜けたのかも知れません。